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「100年に1人の逸材」棚橋弘至が語る“新日本プロレスの今”【プロレス女子の手記2】

苦悩の時期が長かった「中邑真輔」

中邑真輔選手

中邑真輔選手 (C)NJPW

プチ鹿島:セミ(中邑真輔VS飯伏幸太戦)の盛り上がりもすごかったですね。中邑選手は本当に自由ですよね、コスチュームも。 棚橋:キングのコスチュームで、完全にキングになっていましたね。控室でセミを見ていたので、あれだけの名試合をされた後にやるのはプレッシャーでした。 プチ鹿島:プロレスは、長く見れば見るほど“溜め”ができる。中邑選手も、悩んでいる時期とかがファンにも見えていたわけじゃないですか。それが弾けた瞬間、“くねくね”し始めた。あの瞬間がいいんですよね。 棚橋:中邑は猪木さんのストロングスタイルの呪縛を背負わされていたんです。「中邑の呪いを解けるのは俺しかいない!」と思っていたんですけど、最終的にその呪いを解いたのは彼自身でした。 プチ鹿島:中邑選手、10年前と全然違いますよね、立ち位置というか。 棚橋:俺なんかよりも中邑はめちゃめちゃ苦労していますから。苦悩の時期が長い。「棚橋・中邑」でタッグを組んでいて、中邑は正規軍だったんです。本体側の印象が強いまま、急にCHAOS(ヒールユニット)に行ったんですよね。 本人はいいと思うんですけど、ファンの方のヒール(悪役)についての知識が追いつかなくて、ブーイングもされない。かと言ってヒールに声援を送ったらおかしい。そういう状況の中でいかに戦っていくか、というのが3~4年あったんです。その頃、中邑が戦っているときの表情は曇っていました。その分、弾けた今が面白いんだと思うんですよね。 ⇒【後編】「棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか?」に続く http://joshi-spa.jp/196422 <取材・文・撮影/尾崎ムギ子>
尾崎ムギ子
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「web Sportiva」などでプロレスの記事を中心に執筆。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』。Twitter:@ozaki_mugiko
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