90年代、北京の「蚤の市」でみつけた、社会主義アート【日々の雑器 Vol.4 茅野裕城子】

いつからともなく、どこからともなく、わたしの回りには、さまざまな器が集まってきてしまう。 基本的にはずっと断捨離中ではあるのだが、それでも、旅する先々で、骨董市で、あるいは、実家のガレージの片隅に捨てられそうになっていたのなど、どうしても手にとって、持ってきてしまうものがある。 本当は、白い機能的で形のよい食器のストックがあれば、それでいいのかもしれないけど、人間、それじゃあ、飽きてしまう。 かといって、わたしは高級ブランド食器のフルセットとかも、持ちたくない。雑多で不揃いな器で、日々の食事をするのが楽しい。使っていると、器たちは少しずつ、なにかを語りかけてくる……。

Vol.4 文革の頃の食器

 北京に暮らしていた90年代、日曜の朝ともなれば、わたしは早起きをしてタクシーに乗り込み、北京の街を北から南に一時間くらいかけて縦断し、藩家園という日曜蚤の市まで出かけていたものだ。いまも、この蚤の市はあるのだけれど、とにかく、ほとんどがまがい物なので、じっくり見ようとするパッションが湧かない。それに、紙類も陶器もだけれど、文化大革命の頃を中心とした社会主義アート関係が、ほとんどなくなってしまった。 当時、わたしは、革命京劇のポスターや雑誌、本、のほかに、文革の頃の食器というものに、非常に興味があって、ひとつひとつの店をじっくり見て歩いたものだ。文化大革命は、1966−1976年、毛沢東の発令により、中国国内が収拾のつかない状況に陥った時代である。階級闘争で、命を失った人々も多い。暗い記憶を思い出させるので、当時、中国人たちは、文革グッズに対して、そんなに興味を示さなかった。むしろ、観光客の外国人たちが、いわゆるポリティカル・ポップと呼んで、こういうものを欲しがった。

農村から持ち寄られた掘り出し物たち

文化大革命アートというのは、それまであった伝統的芸術様式の上に、プロパガンダを上書きしていくようなものだったと、わたしは思う。 たとえば、演劇だったら、すべてのいままでのアイテムが上演できなくなり、たった8つの革命模範劇というものだけが許された。景徳鎮でも、美しい花や山水の絵柄を、毛沢東が手を振るようなものに変える。 わたしは、あまりにも政治色が強いものより、ちょっと乙女チックな要素が入っているようなデザインのが好きで、そういうのを見つけては買っていた。蚤の市は、朝早く行くと、農村から、文革グッズを抱えて出てきた人たちが売っているコーナーがあって、だいたい、そこから見つけていた。 少女たとえば、この小皿には、毛沢東の詩の一節 「中国児女多奇志 不愛紅装愛武装」と書かれている。少女の絵を見ればわかる通り、これは、新しい時代が来て、中国の婦女子は、化粧でなく武装を愛するようになった、という意味である。そして、もし遠くの的に向かって銃の訓練をしている少女が描かれていなかったら、ただのどかな春の野なのに、この革命に奉仕する少女を加えることで、まったく違った文脈になる。それが文革なのである。 ポットこの愛らしいティーポットも、人民の太陽であるところの毛主席を讃えるように、スローガンとともに、太陽に向くひまわりが配されているわけであるが、このラブリーな感じがなんともいえない。 ボウル「革命委員会好」という明快なスローガンが入れ込まれたご飯茶碗だって、やはり、それまでの素朴な技法で作られていて、もし、漢字がわからない外国人が買って行ったら,文革の頃の食器とは思わないかもしれない。 文革のアート本を作るために、せっせと蒐集した多くの食器や雑貨は、北京の家を引き払うときに、他人にあげてしまったり、捨ててしまったりしたが、東京まで持って来たものは、こういう一見なにも主張していないようで実は主張している器たちだった。 <TEXT/茅野裕城子> 茅野裕城子/ちの ゆきこ作家。東京生まれ。『韓素音の月』で第19回すばる文学賞受賞。『西安の柘榴』など、中国に暮らした体験をもとに、日中間の誤解や矛盾を描く作品が多い。また、ビンテージ・バービーのコレクターでもあり、『バービー・ファッション50年史』(共著/扶桑社刊)などの研究書も。このところ、キルギス、モンゴルなど中央アジアを旅することが多く、好物は、羊!
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