これまで恋バナ収集を続けてきた私としては、
「セックスの定義を拡張していくこと」が大事ではないかと考えている。
そもそも、セックスというのは14億年前に生物が雌雄の性を持ち、互いの遺伝子を混ぜ合わせて新しい個体を作る「有性生殖」を始めたことがその起源だそうだ。そう考えると、セックスの構造を最もシンプルに表すなら「A+B=C」という公式になる。
だとすると、何も男性器を女性器に挿入することだけがセックスではなく、例えば女友達とお茶しながら会話をし、自分の考えが相手に伝わって、相手の中に微量の変化が起こる。そして相手からのレスポンスによって自分もまた微量に変化する。こうして少しずつ
新しい自分が生まれていくコミュニケーションだって、ひとつのセックスと言えるのではないか。
事実、私は三十路に入る頃にこの感覚を得て以来、生きることが格段に楽しくなった。例えばそれ以前の自分だったら、女性と二人で終電過ぎまでお酒を飲み、楽しく過ごしてそのまま解散となったら、「ホテルに誘うべきだったか……!?」「俺は何てチキン野郎なんだ!」という考えを起こしていた。しかし、楽しくコミュニケーションができ、少しでも新しい自分になって帰ることができたなら、それはセックスにも通じる豊かな時間なのだと、今なら思える。
その延長線上に裸のつき合いが発生したとしても、それはそれで楽しんじゃったらいいのではないかとも思う。もしそれが独りよがりの欲求で相手との間にすれ違いが生じてしまったら、それはそれで後悔し反省するしかない。相手への関心と敬意さえ欠いてなければ、関係性の修復はいくらだって可能だろう。
論客二人が鮮烈な言葉のシャワーを浴びせてくれる本書は、納得の快感や驚きの興奮を与えてくれる。そう考えると、読書も一種のセックスと呼べるかもしれない。ぜひ、本書を読んで自分の中の変化を楽しんでみて欲しい。
<TEXT/清田隆之(桃山商事)>
【清田隆之 プロフィール】
恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。WEBメディア「日経ウーマン」「messy」、雑誌『精神看護』などでコラムを連載中。桃山商事として著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』がある。
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