ただ、なかにはクレイジーな人も。18世紀の化学者
ヘンリー・キャベンディッシュの場合は度を越した女性嫌い。<
女だとか女体だとかが、物体として嫌い>だったといいます。家政婦とも直接口をきかず、用事があればメモでやり取りする徹底ぶり。
それ以上にひどいのが、
オットー・ヴァイニンガー。森鴎外や芥川龍之介にも影響を与えたと言われるオーストリアの思想家です。とりわけ
宮沢賢治は、一度も射精しなかった仲間だと勝手にシンパシーを感じていた様子。
オットー・ヴァイニンガー(1880~1903年)。性差別主義、反ユダヤ主義で知られ、23歳で自殺
そんなヴァイニンガーの主張は、判断力に劣る女性は絶対的に男性の下だというもの。そしてついには、“女性を解放するには、そもそも存在できなくすればいい”、との思想を展開する。
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こうした女性は、男性の性欲によって存在を保っている。
したがって、男性が性欲を否定すれば、そうした女性は存在できなくなる。
ゆえに、女性を解放するために最善の方法は、女性は性愛的な存在である事をやめ男性は純潔を保つ事である。>
回りまわって女性の味方みたいになっているのが笑えますが、理論武装がかえって自分を苦しめる童貞ならではの習性もうかがえて興味深い話です。
とはいえ、童貞だから偉くなれたわけではありません。当り前ですが。それでも著者は、昨今の行き過ぎた“童貞蔑視”に疑問を感じるからこそ、偉人達を引き合いに出したのです。
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法に触れたり人の道を外したりしていない限り、周囲の声を気にしても仕方ない>
(あとがき)
一局所の特殊な摩擦経験にぐじぐじ悩む自分は、いかに小さな存在なのだろう。偉人への道は、それを知ることから開けるのかもしれません。
<TEXT/比嘉静六>