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“なりたい自分”をめざした末に、うつ状態に…新種の「燃え尽き症候群」

本当に求めているのは、自由でなく宿命

 日本でも、この問題をいち早く指摘した人がいます。シェイクスピア作品の翻訳や評論活動で知られる福田恆存(1912-1994)。 <私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。> (『人間・この劇的なるもの』 新潮文庫、1960年初版。太字は編集部)
福田恆存

「総特集 福田恆存」(河出書房新社、2015年)

 早い話、人間は運命や宿命に身を任せてしまった方が、ラクに生きられるのです。自らの手で人生を作り上げ、計画的に幸せにありつこうと考えだすと、あらゆることが細かな手段に感じられて、人生を大きな全体として捉えられなくなり、苦しくなってしまうのです。  そこで最後に紹介したいのが、「Hit Somebody」(ウォーレン・ジヴォン、1947-2003)という曲です。  アイスホッケー選手を目指していたカナダ生まれの少年(「Buddy」)。でもスティックの扱いはヘタクソで、心ならずも与えられたのは、相手チームの選手を片っ端から潰していく「goon」(暴れん坊)の役回り。  そんな彼に、初めてゴールを決めるチャンスがやってくる。見事ゴール。しかし、その瞬間相手チームのフィンランド人に殴られ、死んでしまう。そんな「Buddy」の人生を、ジヴォンはこう繰り返して歌うのです。 <カナダから出てきた田舎者に、他に何ができるっていうんだ? (いいからぶっ飛ばせ!)⇒【YouTube】はコチラ Warren Zevon – Hit Somebody ( The Hockey Song) – David Letterman Show, 2002 (HD) http://youtu.be/ufEtQcisrgg  架空のマヌケなカナダ人を描いた歌ですが、「Buddy」は“今このときにすべきこと”をし続ける生涯を送りました。  相手選手をぶん殴るのも、目の前のパックをゴールへ叩きこむのもいっしょ。成功者でもないし、取るに足らないキャラクターかもしれません。  でも、ここには“人生の主人”になろうとする傲慢な自己がないのです。だから、この曲を聴くたびに、哀しくもさわやかな気分になるのかもしれません。 ※参考:「1843」 『Minds turned to ash』   <TEXT/音楽批評・石黒隆之> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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人間・この劇的なるもの

人間はただ生きることを欲しているのではない。現実の生活とはべつの次元に、意識の生活があるのだ。それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。――胸に響く、人間の本質を捉えた言葉の数々。自由ということ、個性ということ、幸福ということ……悩ましい複雑な感情を、「劇的な人間存在」というキーワードで、解き明かす。「生」に迷える若き日に必携の不朽の人間論。

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