死にたいと思う人に…死にそこねた私がもう一度伝えたいこと
精神科・美容外科の元看護師でもある作家・コラムニストのyuzukaさん。かつて「女子SPA!」で恋愛相談の連載を持ち、昨年は著書『大丈夫、君は可愛いから。君は絶対、幸せになれるから』(KADOKAWA)も刊行されました。
悩める女性に向けたツイートも話題の彼女が、今回約1年ぶりに「女子SPA!」に綴ってくれたテーマは「死にたいと悩んでいる人へ」。かつて自殺願望に悩まされた彼女によるメッセージです(以下、yuzukaさん寄稿)。
「涙は出ない。多分、声を出して泣くことができれば、何か変わるのだろうけど、涙は出ない。出し尽くしたというほどは泣いてこなかったけど、この感情は涙で説明できるほど、簡単なものじゃないんだ」
これは、私が数年前のある日に書いた文章から抜粋した一節だ。私はこれを書いた数時間後、オムツを履いて首にロープをかける寸前で、警察に保護された。
あの時、死のうとした理由を、何度も考える。そして、あの時、死ななかった理由も考える。だけど、答えはいつだって曖昧で、とにかく「死にたかった」と「死ねなかった」が、そこにあるだけだ。
私がこうして自死についての記事を書くたび、twitterのダイレクトメッセージには「死にたい」の連絡がひっきりなしにやってくる。3年以上前に書いた記事「ネットで『死にたい』と訴える人に、死にそこねた私が言えること」には、今もコメントが書き込まれ続けているらしい。
今回久しぶりの連載を「自死」について触れる記事にしようとしたのは、7月18日にあった悲しい事件の後、そういった連絡が、倍以上に増えたからだった。どんなことを書くべきかと考えながらDMを見ていると、そこには「死にたい人」と同じだけ「どうしてあの人は死んでしまったのか」と、過去に失った人に対する自責の念に苦しむ人たちがいた。
そして思った。ああ、それを書こう、と。どうして人は死んでしまうのか、そして、私たちができることはなかったのか、という部分について、だ。
「死にたいという人は、どうせ死なない」という、恐ろしい言葉がある。誰かが何度も「死にたい」と言って行動に移さない時、それを「その気持ちは嘘だった」と決めつける人がいる。
だけど、それって多分、大きく間違えている。