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依存症だった母親を捨ててわかったこと「親を完全に捨てるのは難しい」

「親を捨てた」人たちが増えている――。多くの人にとって、なんとも信じがたい現象が超高齢化社会を迎えた日本で現実に起きている。テレビのコメンテーターなどで活躍する医師のおおたわ史絵(ふみえ)さんは昨年9月、『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)を上梓。母との長年の壮絶な関係や、思いをつづっている。

母の死から7年、一度捨てたからわかる

おおたわ史絵氏

おおたわ史絵氏

「あの本を読んで”毒親”だと評する声がかなり多い。確かにドリルが制限時間に終わらないと激怒され、教科書や灰皿も飛んできて、頭から血を流したこともありました。私からすれば毒親というより、生きるのが下手すぎた『依存症の人』です」(おおたわさん)  おおたわさんの父は開業医。過去の病気から腹痛持ちだった母は、父からもらう”麻薬性鎮痛剤”の「オピオイド」を常用。食卓には当たり前のように注射器が転がっていたという。 「苦しかったのは事実としてあります。私が研修医時代、家を離れたときは母のすさまじい行動を見ずに済むので気は楽だった半面、父に任せきりで申し訳なさもありました。そして父の死後には実家の診療所を継ぎましたが、そこでまた邪魔してくる母を疎ましく思い、10年間無視し続けていました。精神的に捨てたんです」

「親を捨てたとしても前を向いてほしい」

 あんなに死んでほしいとも憎んだ母だったが、おおたわさんが自宅ベッドで冷たくなった母を発見したとき、必死で心臓マッサージをしたという。 「母は悪い人ではなかったと思う。母も親から捨てられたと聞いたし、父とは略奪婚だった。そんな引け目もあって、私の教育や薬に依存したのだと思います。親も平和に生きたいと願いながら、そうせざるを得なかった事情があると思うんです」  母の死去から7年、そう冷静に振り返るおおたわさん。親を捨てることに悩んでいる読者に、こうアドバイスを送る。 「つらいなら物理的に離れるのはひとつの手段だと思う。でも、記憶からすべて消すことができないように、親を完全に捨てることは難しいと思うんです。たとえ100のうち99がつらく悲しい思い出でも、ひとつでも優しい思い出があれば生きていけると私は思います。捨てたとしても前を向いてほしいです」 【総合内科専門医・法務省矯正局医師・おおたわ史絵さん】 東京女子医科大学卒業。大学病院、救命救急センター、地域開業医などを経て、現職。刑務所受刑者たちの診療に携わり、日本でも数少ないプリズンドクターを務める。ラジオ、テレビ、雑誌など、各メディアでも活躍中 <取材・文/週刊SPA!編集部>
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