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“リウマチで全身に麻痺が進む母の姿”を撮った写真集が反響を呼ぶ理由とは

 今年1月に刊行されたある写真集が、写真愛好家の間で話題となっている。世界最大級の写真イベント「パリ・フォト」でも耳目を集めた、そのタイトルは『Stuttgart(シュトゥットガルト)』。写真家・笠井爾示(ちかし)が10代の青春を過ごしたドイツの街の名だ。

全身に麻痺が進む母の姿、一糸まとわぬ裸体にまでシャッターを切る

カルチャーフェス・笠井爾示

撮影/笠井爾示

 笠井爾示は、舞踏家・笠井叡(あきら)の息子として舞踏家一家に生まれ育った。20代でアメリカの写真家ナン・ゴールディンに見いだされると、“アラーキー”こと荒木経惟にも薫陶を受け、『東京の恋人』など濃密なエロチシズムが立ち上る写真で知られる。だが、グラビアやファッションの第一線で活躍する笠井が、この写真集で被写体に選んだのは、リウマチを患う高齢の母とシュトゥットガルトの静謐(せいひつ)な街並みだった。 「写真は常に、僕と見る人の間にたゆたう存在だと思っています。僕のものでもないし、誰のものでもない。誰がどう見てもいいという意味で、本質的にイマジネイティブなんです。だからこそ、“家族”という最も身近な被写体を撮ることに、ずっと抵抗があった。その行為は、少なからず自分をさらけ出すことになりますから」
カルチャーフェス・笠井爾示

撮影/笠井爾示

 だが、「どこかでやらなければという使命感はあった」と形にした本作は、2月に急逝した世界的アートディレクター・中島英樹が激賞するなど、笠井のキャリアでも出色の出来となった。全身に麻痺が進む母の姿、一糸まとわぬ裸体にまでシャッターを切る。その思いは、いかほどだったろう? 「それが、自分でも意外なほどに冷静でした。僕がカメラを手にしたときから、毎日欠かさず、何万枚と撮ってきたからかもしれません。“そこにあるもの”にシンプルに向き合う。その行為は、とてもパーソナルで詩的ではあるけれど、結果として残る写真自体は、常に自分の手をすり抜けていくべきものですから」

写真は記録ではない。視線を通じ世界と繋がる

カルチャーフェス・笠井爾示

『Stuttgart』はドイツ南西部の都市・シュトゥットガルトを’19年の夏に家族で訪れ、母・久子を撮影した135枚で構成される

 写真家の手から放たれた母・笠井久子の肖像は、見る者に「自分自身の母の姿」を想起させる。それも、懐かしさや慈しみをもって。 「反響として一番多かったのが、そうした声です。今、誰もが写真を気軽に撮る時代ですが、『写真家の写真とは何か?』と問われれば、その視線に重なることで世界との新たな繋がりを獲得できるもの、だと思います。単なる記録や風景、人物ではなく」  笠井のアトリエには、まだ世に出ていない膨大な数の写真が眠る。そのほとんどが、些細な日常のワンシーンだ。 「『東京の恋人』のようなセクシュアルな写真が注目されたから、グラビアカメラマンだと思われることは多いです(笑)。別に嫌ではないけれど、それは僕のごく一部。SNSでも女性の写真を載せると『いいね!』がたくさんつきますが、そうじゃない写真のほうが好きだったりするんですよ」  写真家・笠井爾示の本領に触れれば、いつものグラビアも、より味わい深い見方ができるかもしれない。
カルチャーフェス・笠井爾示

近影撮影/まくらあさみ

【笠井爾示(かさい・ちかし)】 ’70年生まれ。18歳でドイツから帰国後、多摩美術大学を経て写真家に。’96年、初個展「Tokyo Dance」を開催し、翌年には同名の初作品集を新潮社より出版。これまで10作以上の作品集を世に出している <取材・文/宮下浩純(本誌)>
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