「ちむどんどん」三浦大知の主題歌がガチでいい曲過ぎて浮いているワケ
ラストまでわずかとなったNHKの朝ドラ『ちむどんどん』。ツイッター上の“ #反省会”も盛り上がっています。4月の開始当初から、荒唐無稽なキャラクターとあまりにもご都合主義的なストーリーが議論を呼んでいるのです。
というわけで、筆者も遅ればせながら参戦しました。大げさなセリフ回しに、過剰な身振り手振り。けれども深刻さはなく、“あえてやっていますよ”といったエクスキューズを匂わせる演出。
一見して“これは大映ドラマ(注)のパロディなのではないか?”との感想を持ちました。ミュージシャンの高野寛氏も5月18日に自身のツイッターで同様の見方を示しており、つまり『ちむどんどん』は好むと好まざるとに関わらず、ある程度ネタとして楽しむべきだと理解したわけです。
(注:1970年代から1980年代にかけて人気を博した大映テレビ制作のドラマ。過酷な運命に翻弄される主人公や、衝撃的なストーリー展開と大げさな感情表現を交えたセリフが特徴的。主な作品に『スチュワーデス物語』『不良少女とよばれて』『スクール・ウォーズ』など)
もちろん、そうしたアプローチ自体に何の問題もありません。けれども引っかかる点があるのです。それは三浦大知が歌う主題歌「燦燦」(作詞・三浦大知 作曲・UTA 三浦大知)。ガチでいい曲過ぎて、なんか浮いちゃってない?
メタフィクション的に笑いを引き出そうとする作りにおいて、三浦大知の歌だけが真摯なのですね。そこに違和感を覚えてしまう。
ドラマにとって主題歌は顔のようなものです。およそ4分半の中で、曲調や詞のフレージングによって物語の雰囲気や登場人物の性格などのニュアンスを伝えなければいけません。いわば香りのような役割であり、視聴者の理解を助ける強力な補助線となるべき要素です。
そう考えたときに『ちむどんどん』と「燦燦」との断絶をどう捉えたらいいものか…。
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それでも脚本の羽原大介氏は「朝見ていただいて“今日も一日頑張ろう”と思っていただけるようなドラマ作りが一貫してできた」(『琉球新報』2022年9月3日)と胸を張ります。
実際、ハチャメチャな展開と吉本新喜劇的な“スベり”の笑いをあえて楽しむ視聴者もおり、話題にのぼり続けた点では成功したと言えるのかもしれません。
大映ドラマ的な「ネタ」として楽しむもの?
三浦大知が歌う主題歌がガチでいい曲過ぎる
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