「母は包丁を振り回し、父も姉も精神を病んだ」“普通じゃない母親”に育てられた31歳女性。成人しても続く“虐待”の異常性
こんにちは。これまで3000人以上の男女の相談に乗ってきた、恋愛・婚活コンサルタントの菊乃です。
最近、結婚や出産は当たり前ではないし、婚活に踏み出すこと自体もぜいたく品になりつつあると感じることがあります。様々な理由で、結婚や出産について考えることすらできないケースも見聞きしているからです。
毒親育ちの茜さん(仮名・31歳/関東在住)は、結婚に興味がないわけではないものの「将来子どもは持ちたくない」という考えを持っています。幼い頃から茜さんは、異常に過干渉な母親のコントロール下にありました。勉強ができないと家中を引きずり回される、朝起こす時に性器を触られるなどの虐待も受けていました。
何かにつけて母親から否定され続けた茜さんは、何かをやってみたいといった好奇心をほとんど持つことなく育ちます。
【前回記事】⇒「朝起こされるとき、母に性器を触られる」“異常すぎるDV母親”から逃れた、31歳女性の胸中
進学先も、自らの関心から選択することはありませんでした。仮に希望を持っても、それを叶えられる環境ではありません。高校は母親と同じ学校へ、大学は姉と同じ芸術大学へ進みます。
大学には学生でありながらイラストの仕事を受けている人や、漫画家としてデビューが決まっている人もいました。みな目標があって、絵を描くことや創作すること、芸術そのものが好きで進学してきています。ですが茜さんにはそうした目標はありません。
一方で母親からは「教師になれ」と言われ、教員免許の取得を目指すことに。大学では同じ学科の学生よりも多くの単位取得が必要となりました。
教員採用試験の情報や出題傾向がまとめられた『教職課程』(協同出版)という月刊誌があります。母親はこの雑誌を見せて問題を出してきたりもしたそうです。茜さんは強制されるがままに勉強を続けました。
ちなみに、茜さんの母親や父親が教師だったわけではありません。
「私は先生になりたいとは全く思っていませんでした。母は、教師は人から『すごい』と言われる職業だからと、私を教師にさせたがったんです。母にとって子どもは、自慢をするための道具でした」
大学2年の頃、教員免許を取得する過程で、茜さんは卒業した中学校に行く用事ができました。母校では恩師の一人と再会します。茜さんの中学生時代、教師陣の中で最も若手だった社会科教師で、名前を達也さん(仮名)といいました。
達也さんと連絡先を交換すると、後日2人きりで会うことになりました。達也さんから交際を申し込まれて、付き合うことになります。当時、茜さんは20歳、達也さんは29歳でした。
茜さんは母親にも達也さんとの交際を報告します。
「先生ってことは国家公務員だね。将来が安定しているからいいね。絶対に先生を逃しちゃだめだよ」
といった反応です。
取材中、筆者はここで違和感を覚えました。中学時代の娘と知り合った男性なのに、心配はなかったのだろうか。さらに言えば、中学校教師は国家公務員ではなく地方公務員ではないだろうか、と。