“バカな女”が転落するのは本人のせいなのか?【小説『絶叫』著者インタビュー 後編】

“バカな女”が転落するのは本人のせいなのか?【小説『絶叫』著者インタビュー 後編】絶叫』は、『鈴木陽子』という“平凡な女”を主人公に、女性の貧困や無縁社会、ブラック企業、貧困ビジネスといった社会問題を物語に盛り込み、社会の隙間に堕ちていく人々のありようを、これでもかというほど、私たちに見せつけます。

30万字という長編小説を書き終えた作者の葉真中顕氏へのインタビュー、後編です。

⇒【前編】はコチラ

――ネタバレを避けるために詳述はできませんが、主人公は、生きていくために、折々で、「選択」を迫られ、そして、いつも、「どうして、そっちを選んじゃうのかな?」というほうを選んでしまいます。

 例えば、ひとつのエピソードをあげれば、就職した先の保険会社に上司にいいように言われて、禁止されている「枕」と「自爆」を重ねてしまう、とか。
「選択」というのが、物語のひとつのキーワードなのかなと思いました。


その「どうして、そっちを選んじゃうのかな」っていう感情は、決してポジティブなものではないですけど、そう感じてくれたらうれしいですね。

「ああ、もう、この人は……。でも、こういう人いるよなあ~」と感じてもらえるリアリティのバランスは、かなり考えましたので。

人間というのは、必ずしも利口で、賢い選択ばかりができるわけではなく、ときに愚かになってしまう。じゃあ、どんな時に人間的に愚かしくふるまってしまうのか? 逆に、どうあったら、賢くふるまえるのか?

愚かであること、愚行のリアリティというか、間違ってしまう人間のどうしようもなさというのは、作家としては興味深いテーマですし、同時に、賢い人間の賢くて正しい、けれど、その正しさに何か共感できない部分があったり、正しいことを言う人間の限界というのも作品の中には込めたつもりです。

――陽子の選択は「なんで、そっちを選んじゃうかなあぁ~」と思いつつ、彼女を「バカじゃねえの、この女」と言い切り、切り捨てることはできないなと思いました。

「バカじゃねえの、この女」と、思う方もいるでしょう。ただ、この小説に出てくる陽子のような女性を「バカ」の一言で切り捨てることは、言葉にすると「自己責任論」ということになると思います。

社会問題の議論では必ず「自己責任論」の議論は出てきますが、私は賢しい立場から、上から目線でバカだ、間抜けだといって、失敗してしまった人をそれだけで終わらせてしまう、切り捨てていくことは、結局、不幸の再生産にしかならないと思うんです。

「見えざる棄民」という言葉を作中でも使っていますが、社会から切り捨ててしまって、日の当たらないところに追いやってしまえば、そこでは何が行われているかわからなくなってしまう。

そこでは、ゾッととするようなことが、行われているかもしれない。そういう世界の片隅みたいなものを照らせるような作品を目指したつもりです。

――作中では、陽子の弟が繰り返し、こう言います。

 人間って存在はね、突き詰めれば、ただの自然現象なんだ

 それは、葉真中さんにある「自己責任論」への違和感の表れなんでしょうか?

葉真中 顕

絶叫』の鈴木陽子は、実は別に書き進めていた群像劇の登場人物の一人だったとか。その鈴木陽子に導かれて、『絶叫』、30万字は紡がれた

「人間は自由な意志を持っている」ということは、科学的にも相当怪しいと言われています。それでいうと「自由意志」など、私たちが勝手に作っている仮想の概念であって、そんなものはない、だから人には責任なんてない、という話になる。自己責任論を徹底的に否定すると、こういう話になるわけです。

ただし、これはこれで極論なんですよね。確かに自己責任論には、違和感はあります。けれども、「全部、最初から決まっているんだから、責任なんて何もないんだ!」というふうに、割り切ってしまうことも、人間はやっぱりできない。

すべてを自分の責任には還元できない。けれど、全部、自分とは関係のない、自然現象として割り切ることもできない。そこの狭間にこそ、人間性というものが存在すると私は思うんです。

どうしても、そこににじみ出てしまう、人の思いだったり、感情だったり、小説の中では「熱」という言葉を使っていますが、そんな「熱」を、細部に描ければなと思って書き上げました。

――詳しく説明できないのがもどかしいのですが、ラスト、陽子がどういう道を「選択」するのか? その展開はまさに、ノンフィクションではありえない、小説だからこそ、のエンディングでした。

時代を描くといったとき、ルポルタージュという意味では、丹念に取材をして書きあげる素晴らしい書き手がたくさんいらっしゃいます。

一方で、フィクションだから書ける曖昧さ、複雑さ、フィクションだからこそできる解決法っていうのがある。私は小説家という立場ですから、フィクションとして書くには何が必要なのかというのは、かなり自覚的、意識的に書いたつもりです。

小説は、現実をそのまま書くものではありません。デフォルメをしたり、作り込みをしたりして、基本的には“ありそうな話”を書くわけです。

創作の中に、現実の人間の感情とか、現実の社会の仕組みを織り込むから、リアリティが生まれるのであって、そこのバランス感覚は作家としての腕の見せ所かなとは思っています。

小説を読むということの大きな役割の一つに、自分ではない人の人生を仮想的にでも経験して、現実では見えない景色や風景を見る、というのがあると思います。小説の中に表れるもう一人の自分の「if」を体験する、現実には起こりえない、自分にはおこりえないことをバーチャルに楽しむというのは、あらゆるフィクションに共通する娯楽の醍醐味です。

絶叫』は、リアリティを重視して、ある種、現代社会のルポのようにも読める内容ではあるんだけれども、フィクションならではの強烈なラストを用意したつもりです。作者としては、このラストのためにそれまでの500ページがあると言ってもいいくらいです。かなり長い小説ですが、最後まで付き合ってくれた読者が、娯楽小説を読んだという満足感、爽快感を感じてもらえたらうれしいですね。

葉真中 顕(はまなか・あき)
1976年東京生まれ。2009年、児童向け小説『ライバル』で角川学芸児童文学賞優秀賞受賞。2012年『ロスト・ケア』にて第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、ミステリー作家としてデビュー

<構成/鈴木靖子 Photo/mrhayata>

絶叫

鈴木陽子というひとりの女の壮絶な物語。涙、感動、驚き、どんな言葉も足りない。貧困、ジエンダー、無縁社会、ブラック企業…、見えざる棄民を抉る社会派小説として、保険金殺人のからくり、孤独死の謎…、ラストまで息もつけぬ圧巻のミステリーとして、平凡なひとりの女が、社会の暗部に足を踏み入れ生き抜く、凄まじい人生ドラマとして、すべての読者を満足させる、究極のエンターテインメント!

ロスト・ケア

社会の中でもがき苦しむ人々の絶望を抉り出す、魂を揺さぶるミステリー小説の傑作に、驚きと感嘆の声。人間の尊厳、真の善と悪を、今をいきるあなたに問う。第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。




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