右京のキャラやテーマ曲にも、少しずつ違和感が…
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ドラマのキャラクターが持つ趣味によって、ストーリーに予想外の余韻が生まれることがあります。それがシーズン2の第7話「消えた死体」でした。
右京が名曲喫茶で偶然知り合った多治見と好きな曲が同じだったことから親交を結ぶのですが、その男が脅迫容疑のかかったヤミ金の社長だったために、右京自らが逮捕しなければならなくなる。
まだこのころの右京には、大見得を切るように決めゼリフを言うシーンはありません。その代わりに、エンディングでは拘置所にいる多治見にあの日と同じ曲の入ったレコードの差し入れを贈る。社会的な制裁や倫理的な立場を超えても、なお生き続ける趣味の友情。たった一つの曲がとりなす縁から、1時間のドラマでここまで語れるのですね。近年の『相棒』にはない秀作です。
『NCIS』にも、ことあるごとに映画トリビアを披露するディノッゾや、古今の詩篇からの引用を交えて死体と”会話”するダッキーなど見所はありますが、どちらも箸休め程度。
よくも悪くも杉下右京スペシャルな『相棒』だからこそできた重心の置き方ですし、むしろ物語のスケールを広げるよりも、クラシックや文学、落語好きの側面を掘り下げて性格を固めていったほうがネタ切れは防げたように思うのです。
最後はドラマ本体と関係ないと思われるかもしれませんが、原点を考えると避けて通れません。オープニングには作品のトーンが表れていると思うからです。
『相棒』といえば、やはり”ダサ速い”曲でなければしっくりきません。もう少しでB級に道を踏み外しそうなスリル。そんな危うい安っぽさがドラマの面白味を支えてきましたし、きっと今もそうでしょう。ところがシーズン8で、ゴージャスなジャズアレンジになったところから違和感が。なぜにそんなに背伸びするのかと。
その点『NCIS』は放送開始からずっと”ダサ速い”曲を守り続けている。まさに老舗の味。あのオープニングが流れれば、視聴者は自分の求めているものが今日もまたあることを理解する。それはリピーターを作るうえで、バカにできない要素なのではないでしょうか。
というわけで、『相棒』シーズン14は、前作で多くのファンに与えてしまった不信感を払拭できるのでしょうか。望まれているのは、”衝撃の展開”ではなく”着実な波紋”。古くからのファンはきっとそう思っているはずです。
<TEXT/沢渡風太>