子どもの安全よりも、汗と涙の“集団感動ポルノ”

⇒【前編】はコチラ http://joshi-spa.jp/300357

 さらに組体操を取り巻く状況も整理されているとは言い難い。戦後間もなくのわずかな期間を除いて、学習指導要領からなくなってしまったため、各地の教育委員会も各学校の裁量に任せるしかないといいます。

 その中で、組体操のプロでも中国雑技団のメンバーでもない生徒が、その指導のエキスパートでもない先生の覚束ない指導によって、労働安全衛生規則(注2)で“危険”とされる高さをゆうに超えるサイズの人間ピラミッドに取り組んでいるのですね。教育という名の下に。

運動会

保護者にいかに満足してもらうのか?



 こうして、決して過保護などではない、安全を顧みずに追求される汗と涙のドラマ。それを著者は、「集団感動ポルノ」(注3)という過激な言葉で断じながら、そこに保護者から教員へ注がれる視線を感じ取ります。

しかしながら、教員はなぜこれほどまでに「感動」を追求しなければならないのか。教員の個人的趣味だと言ってしまえばそれまでだ。だが、私はそこに、保護者からの厳しいまなざしに日々さらされている教員の姿を読み込んでしまう。保護者にいかに満足してもらうのか。そのとき、安直な感動物語に飛びつきたくなるのも、無理はない。>(第2章 「2分の1成人式」と家族幻想 より)

 もっとも、著者は日本全国津々浦々、全ての学校がこうした状況にあると言いたいのではありません。しかしたとえレアケースであっても実際に発生した事故のデータが各地で共有されず見て見ぬふりされてきた現状こそが問題であり、それが他ならぬ“教育は善きもの”という前提から動こうとしない怠惰にあるというのが、本書の核なのだと思います。

(注2)その第五百十九条には、こう記されている。<事業者は、高さが二メートル以上の作業床の端、開口部等で墜落により労働者に危険を及ぼすおそれのある箇所には、囲い、手すり、覆い等(以下この条において「囲い等」という。)を設けなければならない。>

(注3)オーストラリアのコメディアン、ジャーナリストのステラ・ヤングによる「感動ポルノ」を著者がアレンジした語。ヤング氏の定義は、<健常者の利益のために、障害者を感動の対象としてモノ扱いすること>(P109より)それを内田氏は、<子どもを感動の対象に据えて、大人たちが感動を享受する。>(P109より)ことが、「集団感動ポルノ」であるとしている。

<TEXT/比嘉静六>

教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」

私たちが「善きもの」と信じている「教育」は本当に安心・安全なのだろうか?学校教育の問題は、「善さ」を追い求めることによって、その裏側に潜むリスクが忘れられてしまうこと、そのリスクを乗り越えたことを必要以上に「すばらしい」ことと捉えてしまうことによって起きている!巨大化する組体操、家族幻想を抱いたままの2分の1成人式、教員の過重な負担…今まで見て見ぬふりをされてきた「教育リスク」をエビデンスを用いて指摘し、子どもや先生が脅かされた教育の実態を明らかにする。




あなたにおすすめ