「発達障がい」の息子についた、もう一つの“障がい名”【シングルマザー、家を買う/43章】
<シングルマザー、家を買う/43章>
バツイチ、2人の子持ち、仕事はフリーランス……。そんな崖っぷちのシングルマザーが、すべてのシングルマザー&予備軍の役に立つ話や、役に立たない話を綴ります。
息子が大きな病院に通い続けて4年。4月からは年長クラスとなり、小学校入学が迫ってくる。発達障がいを持つ子供と親にとって、この小学校の壁はとても大きいように感じる。まず、通常学級に行けるかどうか。ここで、これまで頭では理解していても、心がついていかなかった“障がいをしっかりと認める”ということが、親に課されるのだ。
私の息子は出生時、2000gにも満たないくらいのとても小さな赤ちゃんだった。それでも日々小さいながらも大きくなっていく姿を見て順調だと思っていたが、1歳までハイハイさえもできず、あっという間に2歳に。その頃からやっと歩けるようになった。
言葉も3歳になれば出る、4歳になれば出る、と願い続け、それが叶わないまま5歳を迎え、もうそろそろで6歳になろうとしている。そこで、息子が通う療育センターと病院が出した答えは、「表出性発達障がい」という障がい名だった。
この連載でも、その障がい名を受け入れる過程は書いたが、どこかで、こう思っていたのだ。
「知的障がいは、併発していない」と。
ただ、言葉が出ないだけだと。いつか、言葉のダムがちゃんと決壊して、いきなり話せるようになるはずだと。
でも、実際、年長に上がろうとしている息子は、1歳レベルの喃語(なんご)さえ話せない。言葉は出るが、すべて「あ、あ!」「う!」くらい。しかし、息子の感情表現は誰よりもわかりやすく、1時間ほど一緒にいれば、誰もが彼が何を欲しているのか、何がしたいのかを感じ取ることができる。だからこそ、生活に不便はあまり感じない。それどころか、わがままを言わない息子には、かわいさしか感じないのだ。
しかし、学校などの共同生活や、自立を求められるシーンでは、“意思疎通ができない”と判断されてしまう。
先日、小学校への入学の準備を含め、簡単なIQテストを行うことにした。しかし、彼は話せないので、ママである私がこれはできる、これはできないと答えるかたちになってしまう。そうして出た結果は、「知的障がい」だった。
もちろん、心のどこかで、知的障がいが併発していることも覚悟していた。どう考えたって、言葉が出るのが遅すぎる。しかし、やはり、ちゃんと受け入れることは難しかったのだ。心がグレーでいる状態が一番苦手な私は、病院でそのIQテストの結果を見た後、先生に思い切って聞いてみることにした。
「息子は知的障がいなのでしょうか。それは言語障がいなだけではないのでしょうか」
先生はとても優しい顔で、「まだわかりません。でも、今の時点では知的な障がいとして判断されてしまいます。小学校も、支援学級が好ましいと思います」と、はっきり答えてくれた。
私は、息子の障がいに理解があると思っていた。障がいをしっかりと認めているとさえ、思っていた。息子はなんとしても私が育てていくんだと決意したときから、どんなことがあっても受け入れていこうと思っていた。
でも、その時、病院で私は涙を流していた。やはり、ショックだったのだ。息子に知的障がいがあることが。
これまで、息子の祖父である、私の父親には、何度も「違う世界で幸せに暮らしているのだから憂うのはお門違い」と言ってもらっていたし、保育園でも、療育センターでも、病院でも、息子は本当に愛されキャラで、どんなことがあっても、笑顔を絶やさずにいてくれた。
だからこそ、彼が持って生まれてきたこの知的障がいも、私が受け入れなければ、彼を認めることにはならないとわかっていたはずなのに……。
思い切り泣いた後で、先生はまたゆっくりと話してくれた。
「支援学級はね。自立支援学級というの。普通学級と違うところは、ちゃんと、息子くんが一人で生きていくために、自立するために、必要なものを教えていく学級なの。いまの息子君に、普通に国語や算数などを教えるよりも、生きていくために必要なことを教えていくことのほうが、大事だと思わない?」
ただ、うなずくしかなかった。本当にそうだ。息子は、こんなにも楽しそうに生きている。でも、誰かの支えがなくては生きられない。ちゃんと、私が手を放した時にも、一人で一歩を踏み出す力を、ちゃんと身につけなくてはならない。私も、保育園の先生も、療育の先生も、病院の先生も、ずっと一緒にいられるわけではないのだから。
まだ、ちゃんと受け止めるには時間がかかるかもしれない。でも、ゆっくり、受け止めていこう。
そう思ったときに、息子はいつもの最高にかわいい笑顔を私に向けてくれた。そして思い切り私を抱きしめて、着ていたトレーナーの裾で私の涙を拭ってくれた。
こんなに気を使える息子なら、きっとどこでも大丈夫。先生は、また、次回、ちゃんとIQテストをして、息子君にあったものを見つけましょうねと笑ってくれた。
その帰り道、息子はまた素敵な出会いをすることになる。それはまた、次の話にでも。
<TEXT/吉田可奈 ILLUSTRATION/ワタナベチヒロ>
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【吉田可奈 プロフィール】
80年生まれ、フリーライター。西野カナなどのオフィシャルライターを務める他、さまざまな雑誌で執筆。23歳で結婚し娘と息子を授かるも、29歳で離婚。座右の銘は“死ぬこと以外、かすり傷”。Twitter(@singlemother_ky)
※このエッセイは隔週水曜日に配信予定です。
「発達障がい」で恐れるもう一つの可能性

下された「知的障がい」という診断

ゆっくりでもいいから、受け止める


- ママ。80年生まれの松坂世代。フリーライターのシングルマザー。逆境にやたらと強い一家の大黒柱。
- 娘(8歳)。しっかり者でおませな小学2年生。イケメンの判断が非常に厳しい。
- 息子(5歳)。天使の微笑みを武器に持つ天然の人たらし。表出性言語障がいのハンデをものともせず保育園では人気者
吉田可奈
80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽雑誌やファッション雑誌などなどで執筆を手がける。23歳で結婚し娘と息子を授かるも、29歳で離婚。長男に発達障害、そして知的障害があることがわかる。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』Twitter(@knysd1980)
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