【相模原事件】障がい者が日々感じる、「いなくなればいい」の根っこ
悲しく衝撃的な、相模原市での障がい者殺傷事件から、もうじき2週間。植松聖容疑者は取り調べに対して、今も「障がい者は死んだ方がいい」などという異常な発言を繰り返している、と報道されています。
私が面識のある、障がいを持つ方々からは、
「外に出るのが怖くなりました。私も殺されるのかな」
「うちの施設は大丈夫と言われたけど、本当に?」
「誰を信じていいのかわからなくなりました」
といった声がSNSなどで上がっています。
私は、障がいのある女子のためのファッションフリーペーパー『Co-Co Life☆女子部』(www.co-co.ne.jp)の編集をしています。この仕事を始めてから、たくさんの障がい者の方と交流を持つようになりました。当事者たちはこの事件をどう感じているのか、聞いてみました。
小林春彦さんは、講演家であり、コラムニスト。18歳のときに脳梗塞で倒れ、高次脳機能障害と診断されました。
「僕は18歳まで健常者でした。そのため、殺人犯がどういう思想を抱いていたのかやその思想に至った経緯も考えるし、殺傷の被害を受けた障がい者の気持ちも考えてしまうわけです。
事件を知ってから、健常時代の自分が弱者に対してどのような目を向けていたのかを回想していたら、これまで自分のやってきたことは何だったのだろうか、と気持ちが悪くなってしまいました。
『自分にとって理解ができない人』『将来的に社会で生産性が低い人』はいなくなってしまえばいいのだという短絡的な発想は、多様な人が共存する社会の暮らし中で、誰もが抱く可能性があるでしょう。
高齢者の介護殺人の前例のように、今回の殺人犯と同じ思想の持ち主がいるのかもしれないと思うと恐怖を感じます。
日本社会には、人の『生きる価値』を『コスト』で測る風潮があります。障がい者、生活保護受給者や高齢者といった社会福祉の対象である弱者を、『生きる価値がない』などと評価することです。
労働に見合わない低い給料や劣悪な自分の環境を、『こうした弱者がお金を使っているからだ』と彼らのせいにして、自分の狂気を正当化しているように見えます。
そして障害者施設で介護職員として働いていた犯人が、身内でもない障害者に対し、存在価値を認めないという感覚は許されないと断じたくなります」(小林さん)
障がい者への差別や悪意は、日常にも見られるようです。40代の車いす利用の女性からは、こんな意見がありました。
「夜に車いすで混んだ電車に乗っていると『どうしてこんな時間にいるんだ』と言われ、ずっと車いすの車輪を蹴り続けられることがあります。今回の事件は人ごとではありません。ひとりの夜歩きが怖くなりました」
「生きる価値をコストで測る」という風潮

電車内で、車いすを蹴り続けられ…
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