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「私を離さないで、なんて言わないよ絶対」ーー鈴木涼美の連載小説vol.3

『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは自らを饒舌に語るのか』、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』、『おじさんメモリアル』などの著作で知られる鈴木涼美による初の小説『箱入り娘の憂鬱』第3回! 鈴木涼美『箱入り娘の憂鬱』

第3回「私を離さないで、なんて言わないよ絶対」

 順応性が高いというか忘れっぽいというか、それが子供の特徴なのか女の特徴なのかはよく分からないけど、ママだって「中学時代の親友のケイちゃん」とか、「高校時代のバイト先のハルちゃん」とか、しょっちゅう懐かしそうに話題に出すわりには、別に今となっては全然会っても連絡をとってもいなさそうだから、やっぱり女の特徴なのかな、とも思う。東京ラブストーリーのカンチや三上くんみたいに、昔好きだった人がずっと心の中にいて、みたいなことってワタシはそんなに想像できない。クラスが変わったら1年の頃に仲良しだったミキ子ともめっきり離さなくなったし、バイオリンをやめたらシマくんとも疎遠になった。  人の心の容量は決まっているから、悪いことを考えているとそのぶん良いことが抜け落ちて、頭の中が悪いことでいっぱいになる、というのは確か、小学生になる前に通っていた築地の幼稚園の神父様が言っていたのだと思うけど、だとしたらミキ子やシマくんのことを滅多に考えなくなる、っていうことは、そのぶん新しい人やもののことが頭にどんどん入ってきているってことだから、カンチや三上くんよりもワタシの方がいい生き方のような気もする。少なくとも、なかなか会えなくなる人のことを考えているより、明日会う人のことを考えている方が、よっぽど楽しいと思うんだけど。  とはいえ久しぶりのミミちゃんからの手紙で、今度2年弱くらいイギリスに行っちゃうんだ、なんて聞いたら、女で子供のワタシだって、一瞬胸のあたりというかお腹のあたりというか、身体の割と中心に近い部分がざわつく感じがした。実はもう最後に会ったのも1年半くらい前で、毎日会っていた幼稚園時代や、少なくとも休みの間に1~2回はお互いの家に泊まりに行って手紙だけは月に2回以上は送りあっていた低学年の頃を思えば、随分疎遠になったし、このままごく自然に過ごしていたとして、次に会うのが2年弱後だったとしても別にそれは普通のことではある。それでも、例えば小学校に上がるタイミングで、一緒に過ごしたマンションからカマクラに引っ越したあの時と同じような抗えない決定事項に、ワタシたち二人の気持ちが高ぶるのも当然だった。  そういえば、ママが昔お世話になった、という髪の毛が玉ねぎみたいに盛り上がった、和服の似合うおばさんのお葬式に出た時も、ワタシの気持ちは高ぶったのだった。別に死んだのはワタシの友達じゃないしママじゃないしパパでもない、単に一度しか会ったことがない、死んでもおかしくない年齢の、お金持ちのおばさんで、その人に娘はいなかったからワタシは別に誰かに感情移入する余地もなかったはずだし、学校の遠足で誰かがホームシックにかかって泣いていても、ワタシは全然感情移入するタイプではない。でもその時は、決めるとか努力するとか選ぶとか諦めるとかそういう個人的な事情とは全く別の次元で、世の中には抗えない決定事項があるんだと思って、悲しいとか切ないとか、そんな気分になって泣けたんだった。だってそんな風に大きなことが簡単に決まっていっちゃうんだとしたら、ワタシたちが普段頑張ろうとか、どっちを選ぼうとか考えていることは、ほとんどただの暇つぶしみたいな思いつきで、世の中結構どうしようもない、っていうことだと思ったから。
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ミミちゃんを訪ねることに
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