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「彼女はソレを愛しすぎてる」ーー鈴木涼美の連載小説vol.8

 「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは自らを饒舌に語るのか』、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』、『おじさんメモリアル』などの著作で知られる鈴木涼美による初の小説『箱入り娘の憂鬱』第8回!

彼女はソレを愛しすぎてる

「良い子、と言われる子全てが、取り繕っているなんてそれこそ画一的な決めつけじゃないですか」  私より幾分若いその教師の言うことを、私はよくわかりました。ただ、私たちに良い子と認識される子供の多く、ほとんどと言ってもいい数の生徒が、「良い子」の在り方をそのままインストールしているような気味の悪さがあるのも事実なのです。  理事長がスペイン人のシスターであるとはいえ、単一民族国家という幻想を抱き続ける日本という立地条件、公立学校が保証された上で有料の教育機関を選ぶという生徒の家庭環境、そして中学校以降は完全なる女子校となる我が校の宿命は、校内に多様性を認めるにはあまりに障害が多いものです。校内でも、口煩いだとか規則に厳しいと言われる私ですら、最初から頭髪の色や癖が様々で、両親の出身地や宗教も多岐に渡る米国の都心部の学校の教員は、なんて気楽なものだろうと恨めしく思うことがあるのです。  行事で講堂に集まる全校生徒の頭髪がほぼ全て真っ黒で、肌の色も限りなく単色に近く、それをさらに厳しく指定を決めた制服に包み込んで同じソックス、同じ靴を履かせた学校の中で、差や違いは多様を作る要素とはなりません。それは標準に対する完全なる異物となるのです。そして12歳以下の子供にとって、異物は羨望や尊重の対象となることはありませんから、これは良い異物、悪い異物というレッテル貼りすらなされないまま、無視や排除の対象になったり、告発のきっかけになったりするのです。  地域柄、親の職業すら偏りがある我が校で、異物となる生徒は限られています。両親のどちらかが西洋系のミックスであるとか、身体に障害があったり長期間治療する怪我をしていたりするとか、そういう生徒がそれぞれ学年に1人か2人いて、彼女たちは間違いなく黒髮の列に風穴を開ける異物となります。ただ、入学直後の担任教師が至上命題のごとく、彼女たちに差別やいじめの目が向かないよう、細心の注意を払うため、生徒たちは彼女たちを排除したり罵倒したりすることはほとんどありません。私立のキリスト教学校の生徒たちはむしろ、そういう先天的なはみ出し者にはやや過剰なほど保護的なのです。  そのような身体的特徴の他に、学校内で異物となりうるのが、転校生と帰国子女たちとなります。小学生にとっての社会は学校の中に閉じられており、家庭と学校、そしてせいぜい近所の友達や塾や習い事の友達くらいが世界の全てであるため、教員の立場から見てもやや理不尽と思えるような規律を守ってくれるわけです。しかし、我が校とは違う方針の学校から入ってくる転校生や、かつては我が校に身を置いていたけれど、一旦海外で全く異質な文化に触れてきた帰国子女というのは、精神的な異物となる場合が多く、学校としてはそちらの方がよほど手を焼く存在になるのです。  転校生は生徒が3年から4年に上がる時に学年で3人、これ以外はほとんど受け入れていません。それも親が卒業生だったり、キリスト教の洗礼を受けていたりする子がほとんどで、違う文化圏からやってくるとも言い難いことが多いのです。反面、親の仕事の都合で入学後に海外移住をして、中学に上がるより前に帰国する生徒たちは突発的な場合も含めてこちらのコントロールの外で登場します。ただ、低学年担当の私のクラスでは、海外に行ってしまう生徒を見送ることはあっても、海外から帰ってくる生徒を迎えることは少なく、その点では高学年の担当教員よりも、悩みに直面することは少ないのかもしれません。  私よりも年齢は10歳ほど下とはいえ、それなりに長く高学年を担当するカイドウ先生という女性教員から相談を受けたのは、夏休みが明けて間もない9月の終わりでした。  私が低学年の3年生まで受け持っていたサトウさんという生徒は、4年生の終わりから6年生の夏休み前まで、父親の仕事の都合で英国に滞在しており、生徒たちが卒業に向けてなんとなくの時間を流し始める夏休み明けにクラスに戻ってきていました。彼女がこの学校の外で過ごした時間は二年に満たず、決して長い期間というわけではありませんが、それでも帰国後の彼女が、単なる二年間分の子供の成長という範囲を超えて変わってしまったらしいという噂は直接彼女と対峙しているわけではない私の元にも届いていました。 「例えばヤマノさんやアオキくんみたいな生徒が、本の感想を読み上げるとしますでしょう。成績も素行も良い彼らの特徴が鋭さや面白さにない、というのは先生もご存知の通りです。それでも教室としては彼らはその堂々とした振る舞いやきちんとした言葉遣いから、正しい、という判断をするしかないのです。あるいは、カツマさんのように本当に性格の良い子が、発言をしたとする。的を射た正確さとは違っても、一所懸命に答えますよね」  子供達は4年生に上がる時に、担任の交代だけではなくクラス替えを経験していますから、今カイドウ先生が受け持っている生徒は必ずしも私が三年間担任していたクラスにいた子供ばかりではありません。その中から、ヤマノさんら私が担当していた生徒を注意深く選んで例示してくるのを聞いて、私はこの教員が私に相談をしてくる前に、それなりに時間を割いて悩み、事前準備をしてきたことを察しました。 「そういう時、ものすごく正しくて面白い意見が出ることは確かに稀です。でも間違っていない、ふざけていない意見は笑顔で褒めるように努めているし、なるべく3人以上の子供を喋らせて、似たようなものではあっても多少の違いが認識されるようにしてきました。二番目以降に当てた生徒の多くがヤマノさんが言ったのと同じで、とか、アオキくんと同じように思いました、と言うのですけど。そういう、クラス運営で、それなりに生徒の些細な個性を育ててきたつもりなんです。でも、サトウさんの態度は、私のそういうところを否定してくるんです!」  彼女が語気を強めたので、私は机の上やドアの方にやや泳ぎがちだった視線をしっかり彼女の方に向けました。 「サトウさんのお母さんは低学年の頃も、決められた面談や父母会の場だけじゃなく私に会いにきたり手紙を書いてきたりしたんですよ。少し変わっていて。でもあくまで私の印象ですけど、母親の中で語られるサトウさん像と、実際に教室にいるサトウさん自身は印象が違っていて、実際は照れ屋で、争い事が嫌いで、それほど反抗的な態度ではなかったように思います。今のお話を聞いていると、サトウさんはお母さんが理想とするような子供像に必死になろうとしているのかしら」  母親の考える子供像と実際の子供はキャラクターが一致するとは限らない、というのは長年教師を務める人間からすると定石で、私はなんとなくサトウさんの母親とのやりとりを思い出していました。同時に、教室で慎重に話し、どこかビクついた様子のサトウさん自身も。 「違うと思います」  彼女の今の担任である教員は私が話し終わるのをきちんと待って、でも即座にそう答えました。 「彼女の母親はむしろ、噂よりもだいぶ常識的に感じました。丸くなった、というか。海外帰りの親子はこれまでだっていましたよ。で、母親にしろ子供にしろ、やや浮いてしまうことはあるんです」  カイドウ先生は高学年担当の教員としてこれまでの経験を重ねていますから、帰国子女でクラスに馴染めない生徒たちのフォローは手慣れたもののはずでした。彼女自身も会話の端々に、自分の長年の経験や傾向の蓄積を匂わせてきますし、担任交代の際に開かれたお茶会では、それなりに自信のある態度で帰国してくる生徒についての注意事項を誰に聞かれるわけでもなく話していたのを覚えています。    いま私の前に座る彼女の肩は随分自信なさげに下がっているように見えました。彼女が、生徒たちの善意を信じ、良い子たちの素直さを信じているのは紛れもなく正直なものでしょう。ただ、私にはカイドウ先生の訴えについては半信半疑に思えてしまうところもあったし、また彼女のどうしても何かに法則性を見つけてしまう性格や、「良い子」への無条件の信用については、どうも教師としての何かが欠落しているように見えてしまうのです。  彼女はクラスの良い子の意見を小馬鹿にしてくるようになったサトウさんのことがどうしても解せないようでした。丸くまとまりそうなものを、あえて歪な形に戻したり、歪みを作って不協和音を鳴らせてみたりする生徒が、まるで彼女の愛する良い子たちに意地悪をしているように見えているのだと思います。私は同じ教師として、彼女の気持ちを汲みつつも、良い子と悪い子の精神性が、実はほとんど同じところへ向かっていることを、残りの半年で少しでも彼女が気づいてくれるように祈りました。  サトウさんの性格が随分変わったことも少し意外ではありましたが、それよりも、母親とサトウさんの関係性の逆転が、私にはとても印象的でした。世間とあえてずれて在ろうとする母親と、そのズレをなんとか自分の手で鞣そうとするサトウさんの、奇妙にバランスのとれた母娘関係は、ズレることを恐れなくなった娘と、単純なズレによって生じる軋轢を懸念するようになった母親、というように随分変形しているように思えたのです。    カイドウ先生を見送ったついでに私も仕事を済ませ、教室を出て職員室の自分の机に戻りました。そして、サトウさんの母親との会話を断片的に思い出していました。彼女がかつて関東の下町の割烹旅館の娘で、貧しい近所の子供達からいじめられていたこと、目立つことはとても怖いことだと言っていたこと、英国から帰って一度だけ私に挨拶しにきたときに、勉強が遅れていることは絶対に開き直らせたりしないと強調していたことなどを。 「私はちょっと変わっているかもしれません。でも人との差を強調するのは自分が優っていない時だけ、というようには気をつけてきたつもりなんです」  私とは随分思想の違う、サトウさんのお母さんの言う言葉の全てを、私が正確に受け取っていたとは思いません。でも、大人同士の会話で、少なくともいくつかの言葉の微細な違いは分かっているつもりでいます。ただ、子供というのはそれほど賢くはありません。微妙なニュアンスを極端に捉えて、そのまま極端な形で実行してしまうこともあります。  サトウさんの母親が、自分の教えてきた表現や物事の捉え方を、単純に後悔していないことを祈りました。勢いよく逆転した立場もまだ青春の手前の、経過に過ぎないのですから。 <文/鈴木涼美 撮影/石垣星児 挿絵/山市彩>
鈴木涼美
(すずき・すずみ)83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。09年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)、『おじさんメモリアル』(小社)など。最新刊『女がそんなことで喜ぶと思うなよ』(集英社)が発売中
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