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ヤンキーは永遠です!元レディース総長と『ティーンズロード』元編集長が語る

 1980~1990年代のヤンキーを描いた大ヒットドラマ『今日から俺は!!』の映画化、横浜銀蝿の結成40周年記念復活など、ヤンキー文化が再び注目を集め始めている。このブームを受けて、写真集やコンセプトブックなどの書籍出版を手がけるギャンビット社が、1980~1990年代をフィーチャーしたカルチャーマガジン『ヤンキーメイト』を2019年12月に刊行した。2020年は、さらにその流れが加速しそうだ。
中村すえこさん(当時)

「紫優嬢」4代目総長当時の中村すえこさん(提供:ギャンビット)

 同書の監修をつとめ、かつてヤンキー文化の中心を担った『ティーンズロード』元編集長の比嘉健二さんと、元レディース暴走族「紫優嬢(しゆうじょう)」4代目総長・中村すえこさんが当時の思い出をふり返り、今だから話せるマル秘エピソードを語り合った。

母親に「いいグループ入ったね」と言われた

比嘉氏

「レディース版『明星』みたいな雑誌にしたかった」と『ティーンズロード』創刊秘話を語る比嘉さん

比嘉:『ヤンキーメイト』を監修してほしいというオファーが来たときは、正直めんどくさかった(笑)。だって、当時の『ティーンズロード』のページを書籍に載せるために、レディースのコたちに承諾をとらなきゃいけないってことでしょ。 すえこ:今はふつうにお母さんしていて、現役バリバリだったころを封印しているコもいるから(笑)。 比嘉:「どうしても書籍化したい」という編集者の熱意・執念? で、なんとか刊行にこぎつけた。今でもつきあいのあるレディースのコたちと、すえこちゃんにも協力してもらって。 すえこ:書籍では、元「紫優嬢(しゆうじょう)」4代目総長としてインタビューに答えています。
ティーンズロード

全盛期は20万部を売り上げたという『ティーンズロード』。会場にはレディースユニット「鬼風刃」(表紙)のメンバーも駆けつけた

比嘉:すえこちゃんとの初めての出会いは、『ティーンズロード』5号の撮影で「紫優嬢」を取材することになって、東松山まで会いに行ったとき。当時まだ13歳だったよね。気合入っているコたちの中、すえこちゃんは“ヤンキーっぽくない”いわゆる普通のコで、それが妙に印象に残ったんだよね。 すえこ:当時は「紫優嬢」の中で一番下っぱでしたから。 比嘉:ちょっとぽっちゃりしててね(笑)。でも、それから2年後に会った時はガラリと雰囲気が変わって。しかも「紫優嬢」のトップになっていた。 すえこ:アンパン禁止の「パン禁」、ヤリマン禁止の「マン禁」、「窃盗・カツアゲ禁止」という「紫優嬢」の厳しいルールのもと、下積みを重ねてトップにのし上がりました。このルールのおかげで補導もされなくなったんですよ。母親には「すえちゃん、いいグループ入ったね」って言われて(笑)。 比嘉:紋切型の大人や社会は「ヤンキーは親との関係が悪い」なんて言われているけど、すえこちゃんの場合はお母さんとすごく仲がいいね。 すえこ:うちの母は否定をしないタイプだから。ある日、母が私の特攻服をうっかり洗濯しちゃったことがあったんです。特攻服って洗わないものだから、母に怒ったんですよね。そしたら「女の子だから清潔じゃなきゃダメよ」って。それからはずっと、襟元と袖口だけ洗ってくれて(笑)。そういう母なんです。
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いつの時代も仲間は大切
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