田園調布の友人宅で再会した、‘60年代の東京を魅了した北欧デザイン【日々の雑器 Vol.3 茅野裕城子】

<茅野裕城子【日々の雑器】Vol.3>

いつからともなく、どこからともなく、わたしの回りには、さまざまな器が集まってきてしまう。

基本的にはずっと断捨離中ではあるのだが、それでも、旅する先々で、骨董市で、あるいは、実家のガレージの片隅に捨てられそうになっていたのなど、どうしても手にとって、持ってきてしまうものがある。
本当は、白い機能的で形のよい食器のストックがあれば、それでいいのかもしれないけど、人間、それじゃあ、飽きてしまう。

かといって、わたしは高級ブランド食器のフルセットとかも、持ちたくない。雑多で不揃いな器で、日々の食事をするのが楽しい。使っていると、器たちは少しずつ、なにかを語りかけてくる……。

Vol.3 東京のスカンジナビアン・スタイル



数年前、友達のお父様が亡くなって、わたしが大好きだった田園調布のお宅が売りに出されてしまった。今の時代、相続の関係から、それはごく普通のことだけれど、他人事ながら、さみしくてしかたなかった。
そのお宅へは、お誕生日やクリスマスなどに呼んでいただくのが楽しみだった。和洋折衷の二階建て、昭和モダンの寄せ木の凝った床の応接間やキッチン、グランドピアノ、お庭の樹々。
昨年、ヘルシンキで、公開されている建築家アルヴァ・アールトの自宅を訪れたとき、あまりにも雰囲気や居心地がその友達の家とそっくりで、懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。同時に、北欧デザインと昭和の日本のそれには、なにか共通点があるに違いないと確信した。

そして、つい最近、別の友達の、更に更にわたしが愛してやまない代々木上原のお宅が建て替えで、低層マンションになってしまうことになった。毎年、季節になると、お庭の大きな桜を眺めつつ、お酒を飲ませてもらった。今回は、わたしも、図々しく、取り壊される前のその広いお屋敷を隅から隅まで見せてもらい、写真も撮らせてもらった。
ひとたび工事が始まったら、もう立ち入れなくなるのだから。

広々とした玄関スペースと当時、個人宅にほとんどなかった自動ドア、外と中を面で繋ぐ細工の見事なタイルの壁、ホテル・オークラのロビーを小型にアレンジしたような吹き抜けのあるホールと踊り場。地下のプール、本格的配電室、一家族が住めそうなリビング、お父様の書斎のつくりつけの机と棚、埋め込み式のユニークな照明。(素敵すぎて、これだけでも譲って、と喉まで出かかったけど、それは言えなかった)

1960年代、友達のお父様が依頼した女性建築家は、当時、北欧のデザインに凝っていたそうだ。ここでも、わたしは確信した、その頃に、大きなスカンジナビアン・デザインの波が、日本に押し寄せていたことを。

そのお宅で、もうひとつ、驚かされたのが、お道具部屋である。
様々な陶器、使わないお盆や漆器、茶道具、引き出物類から朝鮮人参や猿の腰掛けなど乾物まで。二階建ての小さな家くらいの広さで土蔵の役目をする倉庫には、家族で分けた後といえども、かなりのものがまだ残っていた。
「もう、これらは処分するものだから、好きなのあったら、持って行って」と友達は言う。わたしは、多分、一時間くらい、その部屋をじっくり物色していたはずだ。そして最終的に、幾つかの食器類を頂くことにした。そのひとつが、このDANSKのコーヒーセットやスープ皿だ。

DANSK

青山アンデルセンのカフェで芽生えた北欧的なものへの憧れ



これは、昔、家族が揃って食事するときの、普段使いのセットだったそうだ。そういえば、この感じ、知っている。ええと、ええと、そう、アンデルセン!

青山通り、今の場所より、もう少し青学寄りにあった頃のアンデルセンの二階のカフェテリアは、照明とかテーブルとか(鮮明には覚えていないけど)北欧的なものへ憧れを、わたしが初めて抱いた空間だったとおもう。そして、食器は、ずしりと重い、こんな感じのが使われていたような気がする。

日曜日、階段を上がって行くと、地元っぽい大人たちが、ゆっくりとお昼を食べている。十代のわたしには、あそこで、人を眺めるのもまた、楽しかった。

ANDERSEN<TEXT/茅野裕城子>

茅野裕城子/ちの ゆきこ作家。東京生まれ。『韓素音の月』で第19回すばる文学賞受賞。『西安の柘榴』など、中国に暮らした体験をもとに、日中間の誤解や矛盾を描く作品が多い。また、ビンテージ・バービーのコレクターでもあり、『バービー・ファッション50年史』(共著/扶桑社刊)などの研究書も。このところ、キルギス、モンゴルなど中央アジアを旅することが多く、好物は、羊!

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