少女雑誌で仕事していた頃……パリのパッサージュの雑貨屋で出合ったカフェオレ・ボウル【日々の雑器 Vol.5 茅野裕城子】

<茅野裕城子【日々の雑器】Vol.5>

いつからともなく、どこからともなく、わたしの回りには、さまざまな器が集まってきてしまう。

基本的にはずっと断捨離中ではあるのだが、それでも、旅する先々で、骨董市で、あるいは、実家のガレージの片隅に捨てられそうになっていたのなど、どうしても手にとって、持ってきてしまうものがある。
本当は、白い機能的で形のよい食器のストックがあれば、それでいいのかもしれないけど、人間、それじゃあ、飽きてしまう。

かといって、わたしは高級ブランド食器のフルセットとかも、持ちたくない。雑多で不揃いな器で、日々の食事をするのが楽しい。使っていると、器たちは少しずつ、なにかを語りかけてくる……。

Vol.5 生活する相手と拠点が移り変わってもずっと一緒だった……



カフェオレ・ボウル気が遠くなるくらいの長い時間、わたしの朝は、この小振りのカフェオレ・ボウルとともに始まっていた。もともとは、ひとつがサクランボの柄で、もうひとつがこのラズベリー柄の一対だった。
パリに初めて行ったとき、どこかのパッサージュの雑貨屋で買ったものだった、はずだ。フランス文化に傾倒した少女雑誌に関わっていたので、リサーチも兼ねて、この手のものを、いつもたくさん買って帰ってきていたのだろう。
たいがい、すぐ飽きてしまうカフェオレ・ボウルだが、これに関しては、小ささのせいか、肌身離さず、ずっと持っていた。

人生には、いろいろな相手とのいろいろな生活があるけれど、その相手と拠点が移り変わるたびに、わたしは、この一対のボウルを持って移動し、次の場所で次の相手と、朝起きてお湯を沸かし、コーヒーを淹れ、生活を始めた。わたしの複雑な人生の局面を、ずっと一緒に旅してきたのは、もしかしたら、このボウルだけなのかもしれない。

ところが、十年くらい前、サクランボのが、ぱかっと割れた。今だったら、すぐ、友達の金継ぎ師のところへ持って行っていただろうけれど、そのときは、そんなこと頭の片隅にもなく、潔く捨ててしまった。その後、どこにでもあるような雑貨なのだから、パリに行ったら買い足そう、と思うものの、どうしても同じようなものに出合わない。

どこかで半分失くしたら、役には立たないものがある反面、役に立つものもある。片割れになってしまったボウルは、数年、食器棚の奥に忘れられていたが、その後、第二の人生を歩み始めた。それは、わたしの旅に同行するということである。

旅にいつも携帯するお守りのような存在



トランク仕事の旅や、シンポジウムの旅だと、朝、どうしても下まで降りて行ってごはんを食べるということが、面倒臭い。関係者がいたら挨拶しなくちゃならないし、ときには、同じテーブルで食べたりもするわけで、気を使い、使わせているようで、それだけで憂鬱になる。それに、朝からハムとかチーズとか食べなくたって死にはしない。
そういう場合、ホテルの部屋でお湯を沸かし、フルーツと持参した好みのコーヒーを、ゆっくり飲むほうがどんなにかいい。
ホテルの部屋には、大抵、どうでもいいような安っぽいティーカップが置いてある。心が萎えてしまうようなカップが多い。ホテルに着いたら、近くを散歩して、ちょっとした花束とミネラルウォーターとフルーツを買って、このカフェオレ・ボウルを出して、ほうじ茶でも淹れて飲めば、部屋が自分の場所になっていくのが感じられる。茶筅と抹茶を持って行けば、お薄も飲めるし、元気がないときは、フリーズドライのスープやお粥を持っていれば、それだけ食べて寝てしまってもいい。

自分を知り尽くしてくれている器は、旅のお守りのようなものかもしれない。ちょうどいい大きさのポーチを、仕覆に見立てて、トランクに入れて行く。ちょっと欠けて継いだけど、今後、もし真っ二つに割れても、また継いで、ずっと使おうと思っている。

<TEXT/茅野裕城子>

茅野裕城子/ちの ゆきこ作家。東京生まれ。『韓素音の月』で第19回すばる文学賞受賞。『西安の柘榴』など、中国に暮らした体験をもとに、日中間の誤解や矛盾を描く作品が多い。また、ビンテージ・バービーのコレクターでもあり、『バービー・ファッション50年史』(共著/扶桑社刊)などの研究書も。このところ、キルギス、モンゴルなど中央アジアを旅することが多く、好物は、羊!

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