
さらに、吉田監督は6年前に石原さとみと出会ったときは「自分の意志をはっきりと言うタイプで、自信がみなぎっている人」という印象を持ったが、撮影現場に現れた石原さとみに対しては「弱りきって迷走した状態」かつ「自信の欠片もない、ただ勢いだけはあるから、すごく沙織里(主人公)っぽかった」と思ったのだとか。
もはや、どこまでが石原さとみの俳優としての力なのか、それとも撮影現場で見せた「素」の状態なのかも判然とはしないが、間違いなく言えるのは、石原さとみの俳優としての挑戦が、演じる役柄とシンクロしているということだ。
熱烈に役を希望する勢いを持ち続けているはずなのに、撮影現場では自信の欠片もないように見えたという石原さとみ。娘の失踪に世間の関心が薄れつつあるため、弱り切ると同時に常軌を逸した言動も取ってしまう劇中の主人公。それぞれが「つながっている」からこそ、「本当に壊れた」と思わせるほどのリアリズムを体現したのではないだろうか。
「新しい石原さとみを届けるギャンブル」は完全に成功

当初の脚本における主人公は石原さとみを想定していたわけではなかったそうだが、それでも吉田監督は逆オファーから3年後に石原さとみへ「脚本を書いた」と連絡し、妊娠と出産を待って撮影をするなど、「石原さとみのため」の映画作りへと、途中から完全に舵を切っていたともいえる。
吉田監督は「新しい本で、石原さんをこっちの世界に引きずり込めないかなというある種のギャンブルというか。一緒に努力して、みんなが知っている石原さとみさんじゃないものを作るという自信はありました」とも完成披露試写会で語っていたのだが、その賭けは完全に成功したと言っていい。
実際の劇中では「港区臭」が皆無で、見る影もないどころか、吉田監督だけでなく観客にも「壊れた」のではないかと思わせ、石原さとみというその人のメンタルを心配させるほどの、まったく新しい石原さとみの姿がそこにあったのだから。「シャンプーではなくボディソープを使って傷めた髪」からも、そう思えるだろう。