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「森喜朗はかつて私たちのセクシーアイドルだった」ゲイから見た“女性蔑視発言”

森喜朗はきわめてホモソーシャルの人なのである

 みなさんは「ホモソーシャル」という言葉をご存じだろうか。私は約一年前まで「ホモの社会」のことだと思っていた。直訳である。  一応説明させていただくと、恋愛感情のない同性間の結びつきのことだ。最近では実質、男中心の社会やその同調圧力を批判することに使われている。「貴様と俺は」的な体育会系人間関係。仕事の後で一緒に飲みに行ったり風俗に行ったりするような。  wikiを見る限りだが、森喜朗はきわめてホモソーシャルの人なのである。略して、ホモの人だ(略する必要はないが)。
森喜朗「私の履歴書 森喜朗回顧録 」日本経済新聞出版

森喜朗「私の履歴書 森喜朗回顧録 」日本経済新聞出版

 悪ガキのいじめっ子で勉強はできなかった森少年だが、彼の心を惹きつけたのは父親も好きなラグビーだった。ラグビーのために越境入学をし、強豪校で活躍。その縁から早稲田の夜間に入り、憧れの早稲田大学ラグビー部でプレイする。  しかし全国から選りすぐりの人材が集まったそこでは、ハードな練習とプレッシャーのため胃潰瘍になり、半年の休養を余儀なくされる。選手としては終わったも同然だ。責任感の強い森青年は、ラグビー推薦で入った大学も退学する気でいたが、監督に叱責される。 「縁あって早稲田に入ったからには、早稲田精神を身に着け世の中にためになる人間になるべきだ。そして違った形でラグビーに恩返しをしなさい」  これが政治家としての森喜朗の原点である。  いい話だ。が、めちゃくちゃホモソーシャルな話でもある。略して、めちゃホモだ(略する必要はないが)。  その後は郷里の先輩の世話で早稲田の雄弁会に入り、先の監督の言葉を胸に政治家を志すようになる。ラグビー部を退いた後も、練習のため授業に出られない部員たちのために教授に掛け合うことになる。教授も含めた皆と一緒に飲みに行き、その場で教授の講話にじかに接する日々。教室よりも部室にいる時間のほうがはるかに長い森だったが、大学の単位は4年ですべて習得していたという。  めちゃホモである。そしてこの時点で、めちゃくちゃ昭和の政治家そのまんまである。
(画像:首相官邸サイトより CC BY 4.0)

(画像:首相官邸ホームページより)

 当然の話だが、森喜朗は政治家としての業績も悪くはない。交渉役や緩衝役としては手堅い仕事を残している。ホモソーシャルな場で人間関係をつなぐことには長けているのだろう。五輪の組織委員会が彼に頼らなければいけないのもわからなくもない。  実際に知る人で森のことを悪く言う人はほとんどいない。気配りと義理と人情の人だからだ。  森喜朗の最初の選挙におけるエピソードがふるっている。  自民党の公認も得られない泡沫候補の森だったが、ひとつの行動が風向きを変えることになる。  森の家族親族も出馬に反対する中、一族会議中に近隣の家から火の手が上がった。このとき、森は決死の覚悟で燃えさかる家に飛び込み、仏壇を抱えて出てきたという。  赤ん坊や子猫ではない。仏壇である。  この行動が仏教信仰の強い地元で広い支持を生み、結果、泡沫候補と見られていた森はトップ当選し、自民党の追加公認も受けることになる。  こうなるともう、ホモソーシャルを超えている。土着の世界だ。  この最初の地点から最後の地点まで、森喜朗は、古き良き日本(と一部ではいまだに思われているようなもの)を体現した存在だったのではないだろうか。

あれはただの女性蔑視発言ではない

 政治家としての森喜朗が、あの発言で潰(つい)えてしまったことはなにか象徴的な出来事のように思える。  個人的だが、あの発言のニュースを聞いたとき、私の中では十数年前のはるな愛が「言うよね~」と登場してきて、その中途半端な古さのあまり自殺しそうになったのだが、つまり、いかにも森喜朗がいいそうなセリフであり、まったく違和感がなかったのである。良くも悪くも悪気はなかったのだろう。比較対象としては何だが、女性に対する人としての悪質さは森本レオのほうが数万倍はひどい。  今になってもあの発言は「女性蔑視だ」「いや、全文を見ればちゃんと女性を認めている」と意見が割れている。実際に森喜朗の失言の多くは、不本意に切り取られたりマスコミによってゆがめて報道されたものも多いようだ。先の学生時代の話だって、「勉強ができないのにラグビー推薦で早稲田に入り、半年で逃げ出したチキン」と表現できなくもないのである。  だがいずれにせよ、これだけはいえると思う。あれはただの女性蔑視発言ではない。ホモソーシャルの中で生きてきてそれが当たり前だと無意識に思っている人間の発言だ。  その根本的な構造が問題なのであり、2020年の五輪という絶好の舞台でそれに代わる新しいシステムを作ることができず、森喜朗という古い政治家に頼らざるを得なかった組織委員会、そして日本社会の問題である。
森喜朗「遺書 東京五輪への覚悟」幻冬舎

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今の日本をダメにした元凶は?
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