山崎育三郎、共演をきっかけにモノマネを始めた「超有名ボーカリスト」
ドラマや舞台で活躍する俳優・山崎育三郎さん。声優や番組MCなど、エンターテインメントの枠に捉われない挑戦を続けています。
自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「山崎育三郎のI AM 1936」(ニッポン放送)が5周年を迎え、初の番組本『I AM 1936』が発売されました。
『ラジオは「今」の自分自身と向き合える大切な場所だった』という山崎さんが、これまでの俳優人生を振り返ったエピソードを、『I AM 1936』より一部抜粋・再構成して紹介します。
自分の歌声を客観的に聴くために全公演を録音しているという山崎さん。デビュー当時から変わらず続けている習慣です。
「昔から舞台やミュージカル公演のときは、終わってから自分の歌声を客観的に聴きたくて全公演録音してるんですよ。昔は楽屋のスピーカーのところにレコーダーを置いてから舞台に立ってました。
今になってデビュー当時の『レ・ミゼラブル』のマリウスの声とかを聴くと、『こんな声だったんだ』と思ったり。ちょっと恥ずかしいようなパフォーマンスをしてたりもするけど、録っておいてよかったと思います。
映像は表情だったり。画の力が大事だから、7~8割が画面からの情報。だけど舞台はアップになったりしないので、7~8割が音からの情報。お客さまは耳から入るニュアンスとか表現で情報を得ているので、大事なのは音なんですよ。だから、今でも終わってから録音したやつをチェックしてます」
ひとつひとつの作品と真摯に向き合う山崎さんですが、SNSでの評判は調べないようにしているといいます。
「嫌なことが書いてあったら嫌だから、SNSで自分のことや評判は調べないタイプかな。良いことだけ書いてあるなら見るけど。でも、そもそもそういう声はあんまり気にならないタイプかも。嫌な言葉が目に入っても『ふーん』で終わる。自分がどういう気持ちで挑んでいるかを大切にしたいし、いろんな情報が入ってくると混乱することもあるから。
大人になってからミュージカルデビューした作品がクワトロキャストだったので、同じ役を演じる人が僕を含めて4人いたんですよ。その4人の中で僕は一番下っ端だったし、皆さんうまくて。それでもやっぱり比べられる。
そしたら演出家の方から、『ほかの3人が稽古しているときは来なくていい。とにかく自分とだけ向き合いなさい』と言われて。ほかの人の芝居を見てしまうと、『もっとこういう風にお芝居したらいいのかな?』とか迷うし、自分がやりたいことができなくなるからって。とにかく自分と向き合わないと苦しむのかなと思います」
ドラマ『リエゾン-こどものこころ診療所-』(テレビ朝日系)では、発達障害を抱える児童精神科医を演じて大きな話題を呼びました。自身が出演したドラマは欠かさずチェックしているそうです。
「テレビのお仕事だと、自分が出たドラマは観ます。ただ、バラエティは観られないこともあるかな。単純にあとで『そういえば出てたな』って気づくことが多くなってきたというか。出始めのころは観てたんですけど、最近は観れないことも多い。だけど、ハードディスクに『山崎育三郎』と入れているので、僕関連の作品はどんどん録画されていきますね」
しかし、「いまだに売れた実感はない」と山崎さんは明かします。
「『どういうときに売れたと感じますか?』ってよく聞かれるんですけど、自分じゃ実感ないんですよ。コロナの時代に入っちゃったから、みんなマスクしてて気づかれないし。ただ、周りから連絡がこなくなったかな。2015年の『下町ロケット』(TBS系)でドラマに出始めたころは、放送されるたびに『観たよ』とか『すごい』といった連絡があったんですけど、今は誰からもこない。
もう僕がテレビに出るのはなんでもないことになったということだと思うんですけど、それってもう認知していただけてるってこととイコールなのかなって。だから、『観たよ! 出てたね』とか言われなくなった瞬間からですかね」
ミュージカルでは全公演を録音

「売れた実感」はいまだにない

『I AM 1936』 「山崎育三郎のI AM 1936」(ニッポン放送)放送開始から5年間の集大成が一冊に ![]() |