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山崎育三郎、共演をきっかけにモノマネを始めた「超有名ボーカリスト」

「もっとやれ」とは絶対に言われたくなかった20代

山崎育三郎 ミュージカルをメインに活動していた20代を振り返り、「このころは自分がテレビに出ていくなんて想像もしてなかった」と山崎さんは振り返ります。 「20代半ばはミュージカルをメインにしていた時期なんですけど、帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』に出演していました。あと、青山劇場でやった『コーヒープリンス1号店』では、高畑充希ちゃんとダブル主演を務めました。もう充希はね、テレビで大女優になりましたけど、当時はまだそんなに出てない時期でした。  あと『ミス・サイゴン』のクリス役も印象に残っています。いや、そのころは自分がテレビに出ていくなんて想像もしてなかったですね。25~26歳から、ミュージカル界という自分が今いる世界のことも少しずつ見えていって、ガムシャラにやっていたところから変化していってることを実感できる年齢になったなと思った。後輩も少しずつできてきたし、おもしろくなってきた時期というか。ミュージカル界を楽しめるようになってきたころだったかな。  でも、20代ってどういうふうに過ごしたらいいのかな。自分の場合は『失敗してもいい』と思っていましたね。『もっとやれ』とは絶対言われたくなくて。ミュージカルの稽古なんかでも、演出家の方に『もっと』と言われることはやりたくなくて『そんなにやるな』とか、『そうじゃなくて、こっちの方向で』って言われるように、とにかく挑んでいく。自分が何者かもわからないし、どういう表現ができるか、どんな役者かということもないので、とにかく前へ前へというのを心掛けていたかな。  あとは、少しでも興味が湧くものはなんでもやってみる。そんなところかな。30代は30代のおもしろさがある。20代で挑戦して恥をかいた経験が多ければ多いほど、30代では楽しいことが待ってるような気がします」 山崎育三郎<文/女子SPA!編集部>
女子SPA!編集部
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