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篠原涼子が語った離婚後の“家族の形”が炎上「子育て放棄」「年上夫を捨てて若い男に走っただけでは」叩くのはうらやましいから?

留守番禁止条例案に見る、母親に子どもの成育のすべてを押しつける風潮

つい先日、埼玉県の自民党県議団が、小学3年生以下の子どものみで外出・留守番させることを禁じる埼玉県虐待禁止条例改正案を撤回した。改正案が話題になるやいなや、埼玉県のみならず、全国的に大きな話題となったからだ。
(画像:埼玉県議会 自由民主党 議員団ウェブサイトより)

(画像:埼玉県議会 自由民主党 議員団ウェブサイトより)

共働き(望まない共働きも含む)が当然の今、子どもだけで外出、留守番せざるを得ないことも多々あるのが現状だ。この条例案を通すなら、子どもを安心して預けられる施設、誰でも安心して頼めるベビーシッター制度の充実、時短で働ける環境など、まずは子育て周辺の状況を完備する必要がある。 しかもこの裏にあるのは、やはり「伝統的家族制度への回帰」を目指しているとしか思えない思想である。多様性の時代と逆行する議員たちの現状を見ない思い上がりと、「伝統的家族制度」への固執が何より怖い。 この条例案が世間で話題になって潰されたのはいいとしても、そのときさまざまな意見の中から「やっぱり子どもが小さいうちは母親が家にいてあげないとね」という声が多数聞かれた。それはすでに子育てを終えた世代からの声だ。 今も、母親に子どもの成育のすべてを押しつける風潮はあまりに強い。こうした土壌があるから、父親に親権を譲った母親が「子育て放棄」などと、突拍子もない悪口雑言を浴びることにつながっているのではないか。

「自由」を「自分勝手」と解釈してバッシング

人は「自由に生きている(ように見える)女性」をバッシングする。女性だけではなくて男性だってそうだと思われるかもしれないが、どう考えてもバッシングされるのは女性のほうが圧倒的に多い。 その人にはその人のこれまでの経緯や理屈があり、家族とも話し合った結果、こうなっているのだから、スルーすることもできるし、心の中で祝福することもできる。それなのに、名前を名乗らないまでも、こうやって目に見えるところにバッシングの言葉を並べるのはなぜなのだろう。
(画像:日本テレビ「ハケンの品格」)

(画像:日本テレビ「ハケンの品格」)

ひとつには「世間の論理」に書いた本人も縛られているから。「自由」を「自分勝手」と解釈して、こういう自分勝手がまかり通れば社会の秩序が乱れるだけと憂(うれ)える。 「ましてや母親なのに」という文言がつく。子育ては父と母が揃っているなら、ふたりで等分にするのが理想だ。だが、母親にプレッシャーがかけられすぎているのが現状。そこにさらに世間が圧をかけたら、母親はつぶれてしまう。 しかし、「社会の秩序」とは何だろう。人を裁くのは法のみである。人が人を裁くことはできない。ましてや離婚は犯罪とは無関係だ。
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叩くのは理想的な生活をする篠原涼子がうらやましいから
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