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日曜劇場に出演中の20代俳優コンビの“驚きの父母”。2人が持つ“親ゆずりのもの”とは

 おそらくこれは令和最大の2世俳優バトルではないだろうか?
 毎週日曜日よる9時から放送されている『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS)で、トランペッター役の宮沢氷魚とチェリスト役の佐藤緋美が、しのぎを削る。 「イケメンとドラマ」をこよなく愛するコラムニスト・加賀谷健が、決して七光りとは言わせない本作の2世俳優について解説する。

2世俳優が持つ“親ゆずりの何か”

 2世俳優というとあまりいい響きがしない。2世が頭についた瞬間、「親の七光りだ」といった(どちらかと言えば)批判的な話題にどっと流れてしまう。あるいは、こういうのもある。  たとえ2世だとしても、本人に才能があるならば、それは親とは一切関係がないという見方。これはもっともな意見だとは思うが、でも筆者は必ずしもそうだとは言い切れないとも思う。  別に七光りであることを礼賛したいわけではないし、本人の才能を十分に見ていないわけでもない。むしろ逆。その人がその親の子である以上は、否が応でも親ゆずりの何かは絶対にある。  しかも、それがストロングポイントになるならば、いいに越したことはないとひとまず考えたい。

宮沢氷魚と佐藤緋美に共通すること

 ここに恰好のテレビドラマ作品がある。  西島秀俊が世界的な指揮者を演じる『さよならマエストロ』には、才能あふれる2世俳優がふたりも出演している。親の名を知らずとも、彼ら本人だけで掛け値なしの逸材。  実際、筆者は宮沢氷魚と佐藤緋美の親の名を知らずに、ふたりの演技を見ていた。彼らの演技に共通するのは、演技が上手い下手に関係なく、その人の人間性がにじんでいること。  技術的に優れていても演技が面白くなるわけではない。キャラクターに憑依しているから上手いわけでもない。演技とは、演じるその人自身でなければならないという証明みたいなものではないだろうか?
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親の存在は、補足情報にしては本質的
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