ここでちょっと視点を変えてみる。冒頭で指摘したように2世という響きにはあまりいい印象がない。でもなぜだか(音楽)アーティストだけは、2世だから七光り云々という批評を免れている気がする。
例えば、世界でもっとも有名なシンガーのひとり、ナット・キング・コールの愛娘ナタリー・コールが父のスタンダードナンバーをカバーするとき、それは七光りだと言われるだろうか。いいや。
あるいは、ダニー・ハサウェイの娘レイラは、父の代表的なクリスマスナンバー「This Christmas」を唯一無二の歌声で2022年にカバーした。
ナタリーもレイラも偉大な父の音楽的才能を多分に引き継いでいるし、彼女たちの音楽性は父の影響下で語られることも多い。
でも決して批判の対象にならないどころか、称賛の喝采を浴びるのはなぜだろう?
音楽の魅力とは、音楽を中心としてその周囲にさまざまな音楽的な雰囲気が広がっていることである。
優れた音楽家でもあった青山真治監督の諸作品に出演する浅野忠信ほど、音楽的な俳優を筆者は知らない。
ちょっと風変わりな阿部寛主演ドラマ『すべて忘れてしまうから』(ディズニープラス配信、2022年)で、Chara扮するバーのオーナーは、最終話で自らマイクの前に立ってみせた。
そんなふたりを両親に持つ佐藤緋美にしか出せない独特の雰囲気がある。
岸井ゆきの主演の傑作ボクシング映画『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)で、主人公の弟役を演じた佐藤が、部屋の片隅でギターをかき鳴らす姿を見て、この人の感性は本物だと思った。
それは佐藤本人の才能だし、薄ぼんやりした雰囲気は間違いなく浅野とChara譲りの魅力でもある。
宮沢だって父から音楽的な素養をもらってるはず。『さよならマエストロ』第3話でピッチの悪さを指摘された大輝が、天才チェリスト・羽野蓮(佐藤緋美)とリハ中に大げんかする場面は、もちろん2世俳優バトルとして図式化することもできる。
でも、その後、ふたりだけで演奏する和解場面を見て、不思議と吹き込む音楽の風を感じるほうがずっと豊かな気持ちになると思う。
<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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