「業界を去ったあと、悲しくてTBSラジオを聴けなかった」元TBSアナの私がTBSラジオをまた聴けるようになったワケ
2010年にTBSに入社し、『朝ズバッ!』『報道特集』などを担当したのち、2016年に退社したアンヌ遙香さん(39歳・以前は小林悠として活動)。
TBS退社から8年経った今年、紆余曲折を経て20年生活した東京を後にして活動拠点を故郷北海道に戻したアンヌさん。アラフォーにして再スタートを切った「出戻り先」でのシングルライフの様子や心境をつづる連載です。
第27回となる本記事では、3月22日に日本のラジオ放送が100年を迎えたことにちなみ、アンヌさんのラジオ愛をつづります(以下、アンヌさんの寄稿)。
ラジオ、好きですか。
私は一部で「ナタリー」と呼ばれていますが、これはTBSアナウンサー時代に番組内でつけていただいた愛称。
TBSラジオで番組を持たせていただいていたときは、とにかくのびのびと自由にやらせていただいて、テレビでは報道畑で、ラジオではバラエティー的にと幅広い仕事をさせていただいたこと、今でも深く感謝しています。
アナウンサー時代にラジオを愛していたのはもちろんのことですが、私は学生時代から生粋のラジオっ子でした。
高校生のときはまだ札幌に住んでいましたが、北海道のラジオ局AIR-G’(エフエム北海道)の、当時好きだった歌手の方がやっていた番組にファックスを送ったこともありましたし、東京で大学生をしていた頃は、一人暮らしの相棒にJ-WAVE。
そしてTBSに会社員として入局してからは愛社精神もあり、もっぱらTBSラジオ一筋でした。私の生活空間においてラジオと言うものは欠かせない存在であり、家の中が無音状態だとちょっと気持ち悪いと思うくらい。
もちろんテレビでも良いのですが、なぜか自然とラジオに優先的に手が伸びる人生なのです。
体を壊し、泣く泣く業界を去ったときには、正直悲しくて切なくて、大好きだったTBSラジオが聴けなくなってしまった時期がありました。
だって大尊敬しているあの先輩の声やあの同僚の声がひっきりなしに流れてくるのです。それは私にとってかなりつらいものでした。
ただ、ラジオそのものから遠ざかった事はなく、会社を辞めてからは同じAMのNHKラジオを聴いたり、また学生時代に親しんでいたJ-WAVEに原点回帰したりしていました。
そのときに感じたのは、さまざまなものを聴き比べることの大切さ。NHKラジオの落ち着いたトーン、この感じ、私も取り入れるべきだったな、など、アナウンサー時代にもっとさまざまなものを聴き比べて、それを自分の中に落とし込めばよかったと反省したり。
私にとってラジオはむしろ生活の中心であり、人生の中心と言っても過言ではないのかもしれません。

アンヌ遙香
学生時代から生粋のラジオっ子
TBSラジオが聴けなくなってしまった時期も
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