発達障害の息子がくれる、親の喜び
【ぽんちゃんはおしゃべりができない Vol.12】
小学生5年生の娘と小学2年生の息子を持つシングルマザーの筆者が、発達障がいの息子・ぽんちゃんとのドタバタな日々を綴ります。
<前回のあらすじ>
「表出性言語障害」と診断されたぽんちゃん。周りが悩んで、落ち込んでてもぽんちゃんは笑顔なんだから、私も笑顔になるしかない。この笑顔を守るも潰すも、親の私なのだ。それなら、ずっと笑わせてやる! と誓います。
よく、「子育てをしてイライラしないの?」と聞かれることがある。
そりゃぁもう、イライラしないワケがない。長女のみーちゃんはとても要領がいいが、だれよりもオシャマなため、動画を見てはぶりっ子の物まねをして、「ママにはこれがないからモテないんだ」と言ってくる。
我が家にあるファッション雑誌を引っ張ってきて、絶対に着ないであろうふわふわ量産型の女子服を指さし、「こういう服を着たほうがいい」といらぬアドバイスをしてくることも。みーちゃんは小学生にして歩くCanCamなのだ。
さらに頭の回転が速く、口が立つため、言い訳は的確だし、私が一番気にしている体型のことをズバッと言ってくる。もう、生意気どころの騒ぎではない。でも、これはすべて“話せる”からこそできることなのだ。余計なひと言があるからこそ、イラっとしてしまうのかもしれない。その点、ぽんちゃんは言葉にできないからこそ、言葉に対してイラっとすることはない。
とはいえ、出かけにヨーグルトをダイニングテーブルにキレイに塗りたくられたり、オムツをいいフォームで投げ出したり、お風呂に着衣したままドボンと入ってどや顔をしたり、さらには蓋の空いたケチャップを振りまわし、恐怖の殺人事件現場のようなシチュエーションを作り出すときもある。
ちなみに、おなかが空いたときに見様見真似で生の玉ねぎとナスを冷蔵庫から引っ張り出し、お皿にいれてドレッシングをかけた時はもはや「天才かも」と思った。
言葉が正確に通じないからこそ、注意しても、簡単には治らない。娘のみーちゃんとは違い、完全な意思の疎通ができないからこそ、何度もダメだと言うしかないのだ。
それは、お友達とのコミュニケーションでもそうだ。ぽんちゃんは、愛情が少し過多で重めなため、大好きなお友達がいると、嬉しくて抱きついてしまう。小学生になった今は、だいぶ自制がついてきたが、保育園のころは本当にそれが多く、ぽんちゃんより小さな子をたびたび驚かせていた。
何度も謝り、ぽんちゃんが飛びつきそうになったら、必死に止めにいった。ぐっと腕をつかんで、身体を掴んで、「お友達にとびついちゃだめだからね」と何度も、何度も話した。どんなに私が怖い顔をしても、泣いてお願いしても、本当に伝わらないのだ。
この頃から、ぽんちゃんにはコミュニケーション障害だけでなく、知的障害もあるんだろうなということは、なんとなく気づいていた。だからこそ、こればかりは私もどうしていいかわからなかった。
子育をしててイラッとする瞬間

怖い顔をしても、泣いてお願いしても、本当に伝わらない
