わが子の発達障害を受け入れることで、広がった“あったかい世界”
【ぽんちゃんはおしゃべりができない Vol.13】
小学生5年生の娘と小学2年生の息子を持つシングルマザーの筆者が、発達障がいの息子・ぽんちゃんとのドタバタな日々を綴ります。
<前回のあらすじ>
言葉が正確に通じないからこそ、注意しても、簡単には治らないぽんちゃん。どうしてわかってくれないんだろうと強く叱ったこともあった。だけど今は、「ぽんちゃんは基本的にいろんなことができない」ということがいい意味でベースとなっているから、毎日ぽんちゃんの新たな一面を発見できる。
ぽんちゃんが0歳の時から通っていた保育園は、普通のどこにでもある認可保育園だった。私が小さなころからその場所にあり、今時珍しく園庭がとても広く、教室もたくさんある。ベッドタウンとして作られたこの街とともに、一緒にその街に根付いてきた、もう35年以上その場所にたたずむ、大きな保育園だった。
先生たちも若い先生からベテランの先生まで様々。音楽をすごく大切に教えてくれる保育園で、なにより先生たちがいつもニコニコしている。たまに駅で帰りの先生たちと会うと、「ぽんちゃ~ん!!」とかけよってくれるようななつっこい先生が多く、私たちママたちも、すごくこの保育園が気に入っていた。
娘のみーちゃんも、ぽんちゃんもこの保育園が大好きで、風邪をひいても、土日もみーちゃんは「保育園に行きたい」と言い、ぽんちゃんは朝になるとニコニコしながら保育園バッグを私に投げてくる。ふたりにとっても、私にとっても、この保育園はとても合っていたのだと思う。
ぽんちゃんが“何かおかしい”と気づいてくれたのも保育園の先生だった。その後も、何かあるごとに熱心に話を聞いてくれて、つねに客観性をもって話してくれる先生たちは、とてもいい相談相手だったのだ。
離婚が成立したときも、離婚してすぐ、みーちゃんがパパについて聞いてきたときも、どうしていいかわからなかった私は、当時同世代だった若い保育園の園長に相談した。泣きながら話す私のせなかをやさしくさすってくれたときの温かさは、いまも忘れない。すごく、いい意味で生活のなかに自然に入り込んでくれる先生たちが多かったのだ。
ぽんちゃんが3歳児クラスになるとき、私は園長先生と、担任の先生2人に呼び出された。ぽんちゃんがなにかいたずらでもしたのかなとドキドキしながら職員室に行くと、園長先生は、すごく気まずそうな顔で、話を切り出してきたのだ。
「ぽんちゃんは、言葉も話せませんし、他のお友達の作業と同じことをすることができません」
あぁ、そうだよな。ついにこの時が来たか。ぽんちゃんはもう、健常児と一緒にいることがむずかしいのかと脳裏をよぎった。専門の施設にいくしかないのか、それとも…。
そんなことを考えて顔が曇ったのをわかったのか、園長先生はこう続けた。
「あ、退園してとかじゃないのよ! そうではなくて、ぽんちゃんにはぽんちゃんにあった生活をしたほうがいいと思うんです。例えば、みんなが工作をしたとしても、ハサミを上手く握れないなら、握れるハサミを用意しなくちゃならないでしょ?
さらに、この保育園で時間を割いている鼓笛隊に、ぽんちゃんは、どの楽器で参加するのがいいのか、そういうことをちゃんと、しっかりと話して進めていくためにも、もう一人、補助の先生を入れたいと思うの」
たしかに、ぽんちゃんは、他の子とは同じことができない。言葉の理解をしているとはいえ100%は理解できていないし、指先などの細やかな動きはほぼできない。力の入れ方がまだよくわかっていないのだ。
じゃんけんもいつもパーしかださないし、じゃんけんの意味がわかっていないから、パーをだしたらすぐひっこめる。これでは、集団生活はなかなか難しい。そして園長先生は、こう続けた。
心の支えになってくれた保育園の先生たち

保育園から呼び出し。想定外の理由って?
