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嘘だらけの読者モデルと、独占したい男の愛憎劇。監督に聞く“愛の複雑さ”

愛って何なんだろう?と思いながら撮った

――なるほど。この映画は、自分と他人、愛と依存、愛と独占欲の境界線が非常にあやふやな、ある意味、普遍的な愛の葛藤を映し出していると思うのですが、監督は愛をどう定義しますか?
“感情と思考”が交錯する愛の定義とは?

『猿楽町で会いましょう』より

児山「小山田がユカに抱く感情には支配欲のようなものも当然ありますが、『ユカを好きであり続けるためには、どんなスタンスをとらなければいけないか』ということを考えている人。でも、“感情と思考”って似て非なりだと思うんです。愛情って何なんだろうと思いながら撮影していたのですが、答えは出なかった。恋人にすごく優しくされた後に、ひどい裏切りを受けたら、“思考”によりそれを許すのも、駄目だよと諭すのも両方愛情とも言えますが、そこに憎さや愛しさという“感情”も生まれて……愛って何なんだろう……難しいですね(笑)」

映画という表現は自由であるべき

――昨今、映画界のハラスメントについて多くの人がSNSで声を上げるようになった一方、クリエイターのコメントや制作物が炎上し、取り下げられたりするようになりました。クリエイターとして、こういった傾向をどう捉えていますか? 児山「ハラスメントや性差別については映画業界に限らず、男性優位社会の名残りだと思います。よい作品を作る名目のもと、ハラスメントが許されてきた歴史が映画業界にはあります。それは僕自身も現在に至るまで、無意識に被害者にも加害者にもなっていたかもしれません。ただ今の僕にできることは、一つひとつの現場で性別にこだわらずに、よい仕事ができるプロを能力主義で集めて、あらゆる種類の差別やハラスメントをなくそうとするしかないと思っています。実際にそうした結果、『猿楽町~』にも多くの女性に参加してもらえました。  けれども、表現者が自分の作ったものを簡単に取り下げることには違和感を覚えます。ある表現物が誰かに不快な思いをさせたとしてもすぐに『取り下げろ!』となる前に十分な議論がなされるべきだと思います。映画という表現は自由であるべきで、自由だからこそ映画だと思います」 <取材・文/此花わか>
此花わか
ジェンダー・社会・文化を取材し、英語と日本語で発信するジャーナリスト。ヒュー・ジャックマンや山崎直子氏など、ハリウッドスターから宇宙飛行士まで様々な方面で活躍する人々のインタビューを手掛ける。X(旧twitter):@sakuya_kono
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