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超大物ミュージシャンの泥酔ライブに「裸の王様」とトライセラ和田唱が痛烈批判

民生のステージはアルコールとセット

 実を言うと、この数年、筆者も奥田民生のステージに少なからぬ不安を抱いていました。いつからか、彼の演奏はアルコールとセットという了解ができあがり、また酒の種類もビール、焼酎、そしてウイスキーへと、だんだん深みにハマっていく傾向があったからです。
 最初にステージにアルコールが置かれるようになったのは、筆者の知る限りではアコースティックギターの弾き語りツアー『ひとり股旅』(1998年)からでしょうか。前年のバンド形式での武道館ライブではまだ飲んでなかったような…。(ファンの方、間違っていたらごめんなさい)いずれにせよ、もう20年以上も、断続的に飲みながらライブをしている計算になる。  自身のフルサイズのライブに限らず、様々な出演者がいるフェスで4、5曲披露するだけでもステージ上で飲むわけですから、一人だけ治外法権のような状態になっていた可能性すら想像してしまいます。

「ロック&酒」は現代の音楽シーンでは時代遅れの考え方

 そうは言っても、ミュージシャンだしロックだし酒でグダグダになるのも味があるじゃないか? と思う人もいるかもしれません。  残念ながら、現代のミュージックシーンではそんな考え方は時代遅れです。ラッパーのエミネムは、創作活動を9時5時の仕事としてこなし、きちんと日常生活を送る。不良の代名詞、ローリング・ストーンズも、時代の価値観にそぐわないとの理由で代表曲の「Brown Sugar」(歌詞に人種差別、性的虐待、薬物使用などを示唆するフレーズがある)をセットリストから外しています。
 ギタリストのキース・リチャーズはいまやシラフで演奏に臨みますし、ストーンズ全体では、ジュード・ロウやベニチオ・デル・トロなどをクライアントに持つウィリアム・ギルクリストをスタイリストとして起用し、いまの時代にあった知的で洗練されたロックミュージシャンのイメージを発信しているのです。

身内ノリが強い日本のロック界隈がより成熟するために

 こうして欧米の音楽シーンが進化している一方で、どちらかというとファンも含めた身内ノリが強い日本のロック界隈。奥田民生の“泥酔”は、そうした環境でプライベートとパブリックの境目がぼやけてしまったがゆえの不幸と言えるのかもしれません。  ゆえに、今回の一件を奥田民生個人への違和感だけで終わらせるのはもったいないことです。日本のロック界がより成熟し、ファン以外の一般の目を意識したエンターテイメントへと転換できるかどうか。  その意味で、和田唱の“告発”は示唆に富んでいたのです。 <文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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