
なんとなく「外国人となら結婚してもいいかな」と思っていた時に出会ったのが、バリバリの日本人の元配偶者。本人にも「私は結婚は興味ない」と言い続けて、「再婚」の話が出ないように慎重に過ごしていました。
ただし、先方はまだ一度も結婚したことがなく、なおかつご実家が名家だったこともあり、そちらからの結婚のプレッシャーが強くなっていた時期でした。お見合いの話がチラホラ出始めた頃、先方は流れでお見合いの席に行くことになってしまいます。
「ちゃんと付き合っているワタシがいるのに、お見合いって何ごと?」と泣いてわめいた私に、「じゃ、結婚しようぜ」とプロポーズ。
キターー……。
散々、日本社会のジェンダーバイアスについてトラウマを持っていた私のことを重々承知の彼は、「僕は典型的な日本人じゃない。理系脳だし、高校から留学して寄宿舎で生活していたし、大学も海外、その後長いこと外資系金融機関にいた。君もよく知ってる通りだよ」との説明でした。

私も、彼自身がジェンダーバイアス満載の日本人ではないことは重々承知していましたし、だからこそ付き合えた。
でも、その時私の頭に浮かんだのは、「あなたがそうなのは分かってます。でも、あなたの後ろに控えている大勢のご親族やご学友の方々は大丈夫?」ということ。
「社会」は一人では作れません。どんな社会も小さな人間関係の輪からできている。その「輪」がどんな考えなのかは、とても重要なのです。
2度目に結婚した相手も、1度目同様、何も悪くない。10人中10人が彼を「人格者」と言い、「気品と人間力のあふれるジェントルマン」と言います。私も彼のそんな人柄が大好きでした。
どこへ行っても自慢の配偶者。結婚後すぐに海外移住したこともあり、二人で数々のパーティやイベントに出席し、楽しい日々を過ごしました。