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ワンオクTakaの“ファン批判”、本当は何にイラだっているのか

日本人ファンに支えられている現実へのイラだち?

 これを踏まえたうえでTakaの“苦言”を読み直すと、そのフラストレーションが日本人ファンのマナーの悪さそのものではなく、むしろ自分たちの思い描いた通りに評価されていない現状から生じているように感じられるのですね。
音楽と人 2017年 02 月号

『音楽と人』 2017年 02 月号

 ミーハーな日本人ファンのいない海外へ乗り込んだのに、見えるのは「いつも同じ景色」。  結局は誰も自分たちの演奏や楽曲になど興味を持っていないばかりか、まだ存在すら認識されていないように感じられてしまう。でもいまの段階でそれを直視するのはいたたまれない――そんな行き場のないモヤモヤが一部のファンの不作法に向けられたと考えれば、色々と納得がいくのです。  筆者は彼らの音楽が趣味に合わないという理由から、こんなことを言っているわけではありません。たとえば、彼らのレーベルメイトでもあるパラモアのヘイリー・ウィリアムスが一声発すれば、その瞬間に選ばれた一握りの存在だと分かる。  そこへいくと、Takaは一生懸命です。高い音を大きな声で必死に出そうとしている。しかし、それは曲と歌が反応し合って弾け出るような感覚ではなく、なにか青春を燃焼させるための手段としてたまたまバンドを選んだという具合に映るのです。  1月9日に放送された『ONE OK ROCK 18祭』(NHK)を観た「くるり」の岸田繁氏が、図らずもこんなツイートをしていました。 「ワンオクかっこいい。(中略)必死に生きてきて何かを掴んだ証を、誰かに届けて結果背中を押すことは、何歳でも出来るんかもなーとボンヤリ思う」  人格者の岸田氏に他意はないでしょうが、それでも印象に残るのは音楽そのものではなく、彼らの“姿勢”である点は否めないのです。

ワーキャー言われているうちが華

 確かに、“日本にいるときの俺たちと、海外で勝負してる俺たちは違うんだよ”と息まくぐらい生意気な方が頼もしいのですが、現状のONE OK ROCKは熱心な日本人ファンからのサポートなしに、音楽だけで勝負できるほどの実力があると言い切れるでしょうか?  身も蓋もない言い方になりますが、しょせんバンドも人気商売。ワーキャー言われているうちが華。軽くいなす術を覚えつつ、今のうちに満喫した方が精神衛生上よろしいのではないでしょうか。 <TEXT/音楽批評・石黒隆之> ⇒この著者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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