子ども好きだった私が、白血病で産めない体に…
「将来、我が子の成長を見るのが楽しみ」。そんな期待を抱いていた矢先、突然、思いがけない病魔に希望を奪われてしまったら、「子どもを望む気持ち」にはどう折り合いをつけていけばいいのでしょうか。
「もともと保育士になりたかったくらい子どもが大好きでした。」そう語る凛さんを襲ったのは、「白血病」という受け入れがたい病。今回は、彼女のさまざまな葛藤を聞きました。
「自分の子どもを授かれない、産めない、育てられないことは苦しみでしかありませんでした。」取材時、そんな叫びを打ち明けてくれた凛さんは、現在31歳。保育の仕事をしているご主人と結婚し、専業主婦として家事を頑張る日々を送っています。
凛さんは26歳の時に「急性骨髄性白血病」と診断され、抗がん剤治療を受けることになりました。医師から病名を告げられた時、真っ先に頭に浮かんだのは自分が生きれるかどうかではなく、子どもが産めなくなるのだろうかという不安。子ども好きな凛さんの中で出産への想いは、それほど強いものでした。
「トータルで7ヶ月ほど入院し、抗がん剤治療をしました。最初の頃は高熱が続き、腕には血栓という血の塊ができて……。安静にしていなければならなかったので、1日中眠って過ごすしかありませんでした。」
白血病という病に、凛さんは「子ども」という希望だけでなく自由も奪われました。普通なら悲しみのあまり、愚痴のひとつも溢したくなりますが、彼女は「治療が辛い」などの弱音は一切吐かなかったそう。
白血病は抗がん剤治療で寛解(一時的もしくは永続的に、がんが縮小または消失している状態のこと)できる型もあれば、移植を行わないといけない型もあります。凛さんの場合は移植をしないと100%再発すると告げられたため、ドナーを探すことに。幸いにもお兄さんと型が合い、ドナーになってもらうことができましたが、移植前の「前処置」は苦しいものでした。
凛さんいわく、前処置とはそれまでに投与していた抗がん剤よりもさらに強い抗がん剤を大量に投与し、骨髄の中を空っぽにする治療なのだそう。併せて放射線照射も行われることが多いようですが、凛さんは血縁者がドナーとなってくれたため、放射線照射は行いませんでした。
「抗がん剤を大量に投与すると、口の中がピリピリしたり乾いたりするので、私がいた病院ではアイスの実や一口ゼリーを凍らせたものを口に含みながら行っていましたが、それでも口の中はピリピリしました。治療が終わる頃には、唇が赤く腫れていましたね。」
こうした前処置を乗り越え、踏み切った移植は無事成功。しかし、移植後は膀胱炎や「ムーンフェイス」と呼ばれる顔の膨張に苦しみ、筋力が落ちてしまったため歩くこともままならない日々を余儀なくされました。そんな当時を凛さんは「私の治療はとても順調に進んでいった例です」と振り返ります。
26歳で「急性骨髄性白血病」と診断
幸いにも見つかった骨髄ドナー

地獄の前処置を乗り越え、移植
1
2