渡部建、ゲス不倫は表のさわやかさを作り込むために必要だった?!
「東出に続いて渡部で……当分不倫ものは作れない」
映像制作に携わる人が先日ボヤいていた。東出昌大の一件を世間がなんとなく忘れかかってきた頃、入れ替わるように明るみになった渡部建の多目的トイレ不倫。
芸能人にはCM契約婚という戦国時代における政略結婚のようなものがあると思う。大口のCMに出るためにすてきなカップルとなる相手と結婚しCMをゲットするのである。CM契約中はひたすらイメージを維持しないといけないが、そんなことは高額ギャラを考えれば苦労でもないだろう。渡部建がそう考えていたかは知らないが、これまでみごとなまでに白の似合う爽やかな人物像をキープし続けてきた。
グルメとしてたくさんの美味しい店を知っているというキャラもお茶の間向きで、このコロナ禍でYou Tubeチャンネルを開設すると、女性に喜ばれる差し入れや、お取り寄せ鍋を紹介したりしていた。この親しみやすさや清潔感をキープすることって大変だろうなあと思っていたので、渡部建をかばうつもりはまったくないが、身体に溜まる欲望をマメに出しておかないといられなかったのではないかと想像する。
運動して汗をかかないと肌がくすむように、いろいろ溜め込むとギラギラした欲望が顔に滲(にじ)み出てしまう。渡部はそのギラギラ部分を芸に生かすタイプではなかったのだと思う。
相方の児嶋一哉がラジオで代わって謝罪しても、文春の独占インタビューで「いまも妻を愛しています」と誠実さをアピールしても、渡部が複数の女性と多目的トイレで行っていたことを聞くと、不倫に対する世の女性に嫌悪感は高騰し、フィクションの不倫ものの制作すら阻むらしい。 どのみち不倫ものは不要不急だとは思うのだが、にもかかわらず、渡部建の世間的イメージと真逆な行為を彼はなぜ行い続けていたのか。渡部建が渡部建であるために必要悪だったのであろう。表現者・渡部建の表の爽やかさとその裏の下衆さはニコイチ説について考察してみたい。
結婚発表のインスタはCMをやりたいアピールに溢れていた
2017年、ファッションモデルや女優として人気の高い佐々木希と結婚報告をしたときのインスタ写真(現在は削除)の爽やかさと多目的トイレ不倫。「雲泥の差」というコトバがこれほどふさわしい行為もない。そうでなければまだ赦(ゆる)される余地もあったのではないだろうか。 昭和時代、「芸のためなら女房も泣かす♪」という歌によって芸人とはそういうものという諦めを伴う時代もあった。渡部は、そういうイメージを更新する新世代の芸人の代表になり得たはずだった。感じ良さ、クリーンさ、良き夫(妻は誰もがうらやむ佐々木希)、良き父、そういう部分が彼の人気を高めたが、それは諸刃の剣。その印象をコントと同じく作り込み過ぎたがための不幸が待っていた。 結婚発表時、インスタで渡部と佐々木は、ふたりそろって白いTシャツを着て、白い歯を出して笑っていて、洗剤か歯磨きか白物家電のCMをやりたいアピールに溢(あふ)れていた。 渡部が下の歯を見せ、佐々木は上の歯を見せていて(どっちもすごく歯並びがキレイ)、アングルもバランスを考え抜かれた印象で、翌2018年にはみごと歯にいいキシリトールガムのCMで共演を果たしている。もうこのためのプレゼンとしか思えなかった。
身体に溜まる欲望をマメに出しておかないといられなかったのでは
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