公演中に“する”俳優と公演中は“しない”俳優がいる
以前、表現するうえで、欲望のコントロールをしている男性の話を聞いたことがある。
かれこれ10年以上前になるが、小劇場でそれなりに知名度のある舞台俳優が公演中に“する”俳優と公演中は“しない”俳優がいると言っていた。飲みの席だったので、その場にいる女性陣に「あんたバカぁ?」とエヴァのアスカのようにツッコまれたかっただけかもしれないが、「俺は公演中にしないといられない」と豪語していた。
案の定、「あんたバカぁ?」という目で見られていたが、その俳優は本番中(舞台の本番です)俺が俺がと前へ前へ出ていき、調和を乱しがちで、その常に発情している勢いがライブの面白さとして生かされているようなところがあった。
そういう人がいるかと思えば、反対にものすごくストイックな人もいて、当時、人間の情念を溜めて溜めて爆発させるような演劇をやっていた俳優は、千秋楽まで禁欲的な日々を送っていた。そのためか千秋楽で彼女に会ったとき、道端で襲いかかりかねないほどだったと聞く(そういう話を女子トークでしがちなので、売れっ子になったら気をつけないといけない)。
また、仕事をお願いしていたあるカメラマンの場合、撮影前は我慢してそのエネルギーを撮影にすべて注ぐと真顔で言っていた。ほんと「あんたバカぁ?」と苦笑と共に流してしまいそうになるが、いや、待て。欲望のコントロールは意外と重大事なのではないだろうか。では、渡部建はあの白いシャツと歯の好感度をキープするためにどうしていたのだろう。やるのかやらないのか。
欲望を感じさせてはならない切迫感の下で、野生をどうコントロールしていたか

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そもそも、アンジャッシュのコントの渡部は真面目な会社員キャラをやってもちょいワルキャラをやってもストレートに感情を出していく役割で、飄々とした児嶋のボケに強く鋭くツッコみ、セリフの発し方もキレがよかった。コントでの渡部は常に漲(みなぎ)っていた。
しっかり作り込んだコントには迷いや濁りがあってはならず、純度の高さが求められる。本人の資質を生かしているところもあるとは思うが、それを芸として極めるにはそれなりの鍛錬が必要だったに違いない。だからこそそれがグルメ仕事や司会業にも広げることもできたのだろうが、そのためますます鍛錬しなくてはいけなくなっただろう。
緊張感をもって、白いシャツの似合う感じの良さで、美味しい食を紹介したり、番組を進行したり。そこでは皮膚の下から夜の欲望を微塵(みじん)も感じさせてはならない。むしろそれを瑞々(みずみず)しさに転化して打ち出していく必要性。汗じみ、黄ばみをつくってはならない。つねに真っ白。あのインスタのように。そんな切迫感の下、渡部は己の野生をどうコントロールしていたのだろうか。
本番(仕事のです)前にいたすほうか、耐えるほうか。どっちであろうと、不倫も多目的トイレも擁護できないことには変わらないのだが、そんな人間のしょうもなさを「あんたバカぁ?」と笑いにかえる場が彼にはもはやなかったのである。お笑い芸人なのに。
<文/木俣冬>
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フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『
みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:
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