ほぼ絶賛されているこの本で、数少ない「否」の評価もある。私が最初に目にしたのは、『女帝』という古いジェンダー観に裏打ちされた言葉をタイトルに使うから読む前に拒否感を抱いてしまった、というものである。
しかし、本を読み終えると、これ以外の言葉はやはり浮かばない。それは、小池百合子自身が古いジェンダー観に裏打ちされた存在だから。
組織の中ではミニスカートをはき年上の権力者の男性の機嫌をとり、他の女性を許さない。男社会における紅一点の意味を熟知し、それを利用してのし上がってきた。一方、対外的には女であることを弱者として装うための道具として利用する。
私は小池百合子が最初にテレビに出始めた頃をぼんやりと覚えている世代だが、『ルックルックこんにちは』にて竹村健一の横でそつなく相手をしている彼女を見て、単刀直入に「ホステスみたいだな」と身もふたもないことを思った。彼女の処世術はほぼその通りだった、と言っては本当のホステスさんに悪い。

1982年発行の小池百合子『振り袖、ピラミッドを登る』講談社、『女帝 小池百合子』ではこの本に何が書かれて何が書かれなかったか…が詳述されている。
安っぽい物語を望む気持ちが彼女のような人物を生み出したのでは
もう一つ、私が見かけたこの本に対する「否」の意見がある。
彼女の生い立ちで決定的に重要なできごとがある。生まれつき刻まれた瑕疵(かし)、頬にあるアザである。この本では執拗にこのアザについて言及する。自分ではどうすることもできない見た目を攻撃するルッキズムに感じて、かわいそうで読んでられなくなったという話だ。
この意見に対しては、単純に愚かだと思う。なぜなら小池百合子自身が、最も重要な局面のひとつで、そのアザのことを打ち明けて多大な同情票を得ることに成功しているのだから。
しかし、「かわいそう」という思いとは別に、この本で唯一の瑕疵がこの部分かもしれないとも思う。
著者は小池百合子の怪物的な精神力と上昇志向とセルフプロデュース能力、周囲の目や風向きに対する過剰なまでの鋭敏さの理由をこのアザに求めようとしている。幼いころから比較された美しい従姉妹なんてのも登場している。それは少々、古い物語的なのではないだろうか。現役都知事に打撃を与える本としては、矮小になりはしないだろうか。そもそも、そういう安っぽい物語を望む気持ちが彼女のような人物を生み出したのではないか。
しかしその物語がないと、この本はただのサイコパスによるホラーになってしまうのであった。
そのホラーの主な部分は彼女自身ではない。彼女がそのうち消えても、また新しく似たような存在が出現する予感。そしてそうした存在を許し求めてきたマスコミや私たち自身や日本なのである。巨大な虚無をじっくり覗いていたら、漆黒の闇の中にいつしか自分の姿が鏡のように浮かんできたというホラーだ。
とりあえず今度の東京都知事選挙には、30年ぶりに投票に行ってこようと思う。
なので、5000円ほどギャラを上乗せしてくれないだろうか。
<文/サムソン高橋>
【サムソン高橋】
ゲイライター。雑誌「SAMSON」編集者・ライターとして勤務後、フリーに。著書に『世界一周ホモのたび』『ホモ無職、家を買う』(ともに画 熊田プウ助)など。