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コロナを機に「都会で暮らす必要ないかも…」シングルマザーの決意

 近年、必要最低限のモノとシンプルに暮らす“ミニマリズム”を実践する人が増えていますが、中にはモノ以外についても「手放して良かった」と感じる人がいるようです。
親子 母親

※画像はイメージです(以下、同じ)

18歳で家出。都会に染まった10代

 大阪の郊外にある実家で暮らす山本里英さん(仮名・35歳)は女手ひとつで娘を育ててきたシングルマザー。現在は生まれ育った地元で暮らしている里英さんですが、そこに至るまでさまざまな葛藤があったといいます。 「駅ビルさえないような本当に何もない街で、10代の頃はそんな地元が大っ嫌いだったんです。当時の私はいわゆるギャルで、しょっちゅう大阪のミナミなど都会に遊びに行って、ほとんど家に帰っていませんでした。そのうち、交際していた男の家に転がり込んで親とはケンカばかり。勘当同然で家を飛びだして以来、連絡も取っていませんでした」  当時、18歳で家出した里英さんは都会のキラキラした生活に憧れていたといいます。 「地元から1時間程度なのに、大阪はまるで違う世界だったんですよね。やがてキャバクラで働くようになり、キャバクラに来るお金持ちのお客さんや、ホストクラブに行ったりすぐに都会に染まっていきました。しばらくは適当に働きながら、夜遊びを繰り返す生活。ブランド物もたくさん買って、バーやホストクラブで毎晩のように飲み歩いていましたね。そんな生活が続いて数年経ったころ、キャバクラで前夫と出会い、妊娠を機に結婚することになったんです。夫は早くに両親を亡くしていたので、結婚式は挙げないことに決め、私も親に結婚の報告すらしませんでしたね」

離婚後も、実家には帰らず…

里英さんが以前、勤めていた大阪・北新地

里英さんが以前、勤めていた大阪・北新地

 キャバクラをやめて結婚した里英さん。しかし、その生活は長く続かなかったといいます。 「結婚前から夫はキャバクラで派手に遊んでいるようなタイプだったのですが、結婚してもそれは変わらなかったんです。最終的には私が前、働いていた店のキャバ嬢と浮気したので、わずか2年足らずで離婚しました。普通ならそこで実家に帰るなりすると思うのですが、私は帰らなかったんですよね。  離婚するときに夫が大阪の都市部にマンションを借りてくれたので、そこに住むことにしたんです。それに、まだ都心に住んでいたいという気持ちが当時もあったんですよ。でも、さすがに働かないといけないので、前のキャバクラのオーナーに紹介してもらった北新地のスナックで働くことにしました」  深夜も開いている託児所に子供を預けて、これまで女手ひとつで娘を育ててきた里英さん。しかし、今年2月に新型コロナの影響で状況は一変したといいます。 「北新地では2月頃からコロナの影響で客足が一気に途絶えました。さらに3月末には北新地の店でも感染者が出てしまい、休業する店が増えてきたんです。私が働いていたスナックも例外ではなく4月頭から休業していました。貯金はしていたので生活にはそこまで困らなかったのですが、その後、緊急事態宣言に入り、外出できない状況に……。  大阪の中心地なのに家の周りは飲み屋ばかりなので飲食店も開いていなくて、どこにも出かけられない生活がしばらく続きました。買い物に行くにも車がないので、1日に何度も行かないといけないのに娘がいるから感染が怖くて。そんな生活をしているうち、これ以上都会で暮らしていく必要があるのかな、と思い始めたんです」
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「子供のため」都会暮らしを手放す決意
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