次の日の夕方となり、準備スタート。どっさりと肉やワインを持って買い出しから帰ってきた客は、受付に置いてあった1本のライターを持ち出しました。
私は突如として試合終了時間までの残業が決定。テラスまでテレビを運び出し、皿やフォークにナイフ、ワイングラス、水の用意など、ウェイターのようにバーベキューをお手伝いしなければなりません。
一方の客は枝木や新聞紙を使ってライターで火を焚き、熾火によるグリルを楽しんでいます。さらに、全ての肉を焼き終わって食べ始めた頃、
「ニヴェスちゃんもおいでよ。ほら、ここ座って」
となぜか誘われて一緒に食べるはめに。
「正直、家に帰りたい」とも言えず、肉を取ってもらいながらお礼まで言わなければならないこのシチュエーションが悔しいものです。しかも、肉を焼いた人はそれで終わりだけれど、私たちスタッフには後片付けが待っています。
試合終了は深夜近く。イタリアが勝ったために宴が終わる気配はなく、見かねた上司が私を帰らせてくれました。
次の日出勤すると、オーナーはかなりイライラしているようす。前日のバーベキューは食材も飲み物も全部、客が調達したのでヴィラの売上げはゼロ。なんとなくの流れでいきなり決めてしまったせいで、サービス料などの取り決めもなく、スタッフの残業代や光熱費だけがかさんでしまったことに今さら気づいたのです。
お金持ちをひけらかさず、誰にでも分け隔てなく接する人の良いオーナーゆえに、身勝手な客の案に飲み込まれてしまったのもわかります。あくまで相手は客なので堂々と文句も言えず、ご近所さんに対して声を大きくして言いにくいというのもあったのでしょう。オーナーは考え抜いた末に、メッセージアプリでひとこと送ることにしました。
「先日お貸ししたライターが見当たらないのですが、持ち帰ったのではないのですか。ないと困るので返しに来てほしいのですが…」
もちろん、高級ヴィラのオーナーがライター1本を盗まれて腹を立てたわけではありません。謝罪やライターが戻ってくることを期待しているわけでもなく、「何か言ってやりたい!」という思いがライター1本に込められたわけです。ある意味、この客がもう二度と現れないように、という意味では効果的な皮肉だったのかもしれません。
しかしながら、しばらくして冷静になったオーナー。世間体を気にして、このメールを送ったことを後悔し始めました。が、既読となっていて時すでに遅し。返事はなかったものの、超リッチな大人のこの行動を間近で見た私としてはドン引きする反面、かわいくも思えてしまったのでした。
<文/ゆきニヴェス>
ゆきニヴェス
脱サラを機にヨーロッパ中を旅し、ワイン好きが高じてイタリアに住み着いた自他ともに認める自由人。フリーライター及び取材コーディネーターとしても活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「
海外書き人クラブ」会員