
平良と清居の関係性を考えるほどよくわからなくなる。平良は清居と住み始め、寝食をともにすることで幸福を得た。一方、神のような美(清居)に触れることができる現実に罪悪感を抱く。清居は、この幸せな生活が永遠に続くのかと不安になる(『シーズン2』)。平良にとっての清居は、「自分の中に輝く星がひとつ」のような存在。平良が自分のことを結局は憧れとしてしか見ておらず、生身のパートナーとして考えているのか、いないのかと考えて、清居は苦しくなる。
ふたりの複雑な関係を考えるうち、筆者はあるポピュラーソングの歌詞を頭に浮かべた。世界的ドラマー・高橋幸宏のソロ曲「1%の関係」(1990年リリース)が、思わぬヒントをくれたのだ。同曲の1番の歌詞では「1パーセントは好きだから」だった感情が最終的に「100パーセント好きだから」に変化する。これを平良と清居の関係性に当てはめてみると、ちょうどピッタリきた。
平良の崇拝する心が100%で変わらないものとする。清居と一緒に住み始めたことでパートナーとしての好きの気持ちが1%は芽生えただろうか。仮に合わせると101%になってしまう。逆から計算してみる。清居から平良への好きの気持ちを99%とすると、平良からの1%を足してちょうど100%になる。これでふたりの好きがエターナル(永遠)として完成する。

結局のところ、『美しい彼~eternal~』では、「恋人以上、友達未満」のBL的な関係性に明確な答えは与えられない。そのかわり、映画のラスト、エターナルらしき風景描写がある。
結末に触れるので詳述はさけるが、その場面は、清居の「来たなストーカー」からはじまる。ずんずん前を歩く清居に対してカメラを構えた平良が頼りなく距離をあけて付き従う。「美しい清居を俺が誰よりも美しく撮る」と平良が言えば、清居は「キモ」とだけ言う。
高校時代から何も変わっていない、何気ない会話である。それがなんてことはない川辺の日常的な風景として描かれる。八木の演技は、こうした日常の中にこそ息づくように思う。基本的に清居は、「キモ」などの短いフレーズしか口にしない。八木がオフビートな調子で一定にセリフを吐く。川辺の風景は、そんな八木勇征による日常の夢のように感じた。清居奏の「美」を神がかり的に演じた彼のベストアンサー(演技)こそ、永遠に「輝く星がひとつ」なのだろう。
<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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