「期待の言葉よりも自分の姿勢で見せる」が、母の指針
母は兄を出産する直前に実母をガンで亡くしました。まさに兄が生まれる数日前だったそうで、母の悲しみは想像以上に大きかったことと思います。
父親の実家が関西方面にあったことで、助けてもらえる環境はほぼゼロ。心から相談できる存在はほとんどいなかったとのこと。もっとも頼れる存在を失った母は、そんな大きな不安と悲しみの中、生まれてきた兄の元気な顔を見たときに、腹をくくって決心したそうです。
それは、「どうせ相談できる人がいないんだから、本や世間の偉人から学びながら、我流で育児をやってみよう!」というものでした。母は今もよく言います。「本は最高の親友。最高の先生よ!」ということを……。
そして母は私たちに勉強しなさいという代わりに、自分の趣味の時間を大切にする姿勢を見せてくれました。私たちが小さかった頃から大きくなるまで、絵画、俳句、料理を習い事として長らく続けていました。私が心に残っているのは、楽しそうに油絵を描いているシーン、俳句を夜なべしてじっくり考えている姿、習ってきた料理をすぐに実践してくれたことなどなど「気になったことはすぐにやるの!」という口グセも印象的でした。
好きなことを大切にする姿勢だけでなく、好きなことを温めるためには、楽しく学ぶ姿勢が大切であることを、実践を通して教えてくれたのだと思います。このおかげで、私は母との時間を過ごす中で、「好きなことを大切にしている大人は素敵だ」という価値観が作られていったように思います。

私が息子を出産する数か月前、母に大切なことを教えてもらいました
今だからこそ、母が私によく言う言葉があります。
それは、「子どもは親の鏡である」ということ。子どもに頑張ってほしかったら、まずは親が自分の世界を持って頑張ることが大事であるということです。そして私は息子を出産する前に、母から諭されたことがあります。
「親になる、母になるという自覚と覚悟をしっかり持つのよ。子どもは親を見て育つから、親が精神的にも自立心を持って育児をしていることが大切だと思うの。
おばあちゃんやおじいちゃんがいるから大丈夫だとか、助けてもらおうという前提で物事を決めることのないようにね。基本的にはあなたたち夫婦二人で責任をもって、二人で話し合って大切に育てていくのよ。すぐに身内の誰かに頼ろうという姿勢よりも、社会の中でヒントを見つける姿勢の方が有意義よ。
もちろん本当にピンチな時はいつでも喜んで助けに行くからね。とにかく最初の心がけだけは、絶対に間違えないように! 私ができたんだから、あなたも絶対にできるわよ」
実母を20代でなくした母の言葉には重みがありました。そしてこの母のアドバイスを理解した私は、実家近くに住むという選択肢を削り、まずは夫と協力して自分達でやりくりすることにしました。家事をする、食事を作る、習い事の送迎、勉強を教える、すべてにおいてまずは自分達でやりくりできる範囲の中で生きてみようと考えています。

結果として、おばあちゃんは“助けてくれる人”ではなく、息子にとって最高の遊び相手になっています。二人は親友のように仲が良く、私の知らないところで美術館や博物館に行くようになり、私が介在しなくても、二人の関係性を温めているようです。