普通の主婦が49歳で始めたロボットダンスで全国優勝。本人が明かす“結果よりも突き詰めたいもの”とは
ムーンウォークは「トシちゃん」から
――ムーンウォークは、小学校時代ですでに完璧だったんですか?
屋代:後ろに下がる「バックスライド」は、完成していました。前に動く「フロントウォーク」や横に動く「サイドウォーク」が完成したのは、大人になってからです。小学校では、窓に映る自分を見ながら廊下で練習して、動きが違うなと思ったら修正して、独学で身につけました。学校では高学年の子たちに注目されて、同級生には「変わったヤツだな」と思われていたみたいです(笑)。
――練習のために、参考にした映像などもあったんでしょうか?
屋代:ネットがない時代なので、手に入る情報は本当に限られていました。でも当時、音楽番組『ザ・ベストテン』でトシちゃん(田原俊彦)がプールサイドで踊っているのをテレビで見たんです。それが私がテレビで見た初めてのムーンウォークで、とても衝撃を受けました。だから、私のムーンウォークは「マイケル・ジャクソンバージョン」ではなく「トシちゃんバージョン」ですね(笑)。
――(笑)。本家であるマイケル・ジャクソンのムーンウォークを見たのは、いつでした?
屋代:小学6年生の頃にニュース番組で初めて見ました。当時は「世界レベルのスターなんだなぁ」と驚きましたし、トシちゃんも「世界の最先端を知っているんだ」と、改めて思いました。
家族にも「そういうお母さん」と見られて
――中学、高校と進学しても、ムーンウォークを続けていたんですか?
屋代:人の目が気になる年頃ですし、学校で練習するのはやめました。でも、一人でこっそりと練習は続けていたんです。夜になると真っ暗になる近所の自動販売機を鏡の代わりにして、ポーズを確認しながら、ムーンウォークをやっていました。
――高校卒業後は社会人となり、やがて、結婚しました。
屋代:進学せず、企業の展示会でアナウンスをするナレーター職に就いたんです。コンパニオン事務所に所属して、イベント会場に派遣されていました。結婚は26歳で、長女が生まれたのは27歳です。その後、子育てとのかけもちで「働けるかも」と思って、託児施設のある高齢者施設でも働くようになりました。
――子育てに仕事に……と忙しくとも、ダンスも続けていたんですか?
屋代:実は、長女が少し大きくなってから、一度だけ原宿のダンススタジオに通ったんです。でも、ドレッドヘアの方だったり、いわゆるゴリゴリのヒップホップスタイルな方しかいなくて、尻込みしてしまって……。雰囲気が合わなかったので1年も経たずにやめました。でも、そこで教わった「アニメーションダンス」は、今の基礎になっているんです。当時は子どもを寝かしつけてから、自宅の窓に映る自分を見ながら練習していました。
――その光景を見て、旦那さんはどんな反応を?
屋代:特に何もなかったです。ムーンウォークの揺れで幼かった長女をあやしていましたし、見慣れていたんだと思います(笑)。今も、家族はそんな感じです。長女が小学校に上がってから友だちを連れてきても、お茶を持っていくときに廊下をムーンウォークで移動してみたり、「そういう妻」であり「そういうお母さん」として、周りも理解していたんだと思います。
リアルな出会いを求めて全国大会に
――2021年には、49歳でロボットダンスに初挑戦。2023年には全国大会「ROBOT DANCE PARTY VOL.3」で優勝しました。
屋代:高齢者施設での介護関係の仕事が、コロナ禍でゼロになってしまったんです。何か、生活でやりがいを見つけられないかと思って、目を付けたのがダンスの大会でした。でも、コロナ禍でほとんどの大会が中止になっていて、唯一開催していたのがロボットダンスの大会だったんです。近所の集会所で自主的に練習をはじめたあと、動画を送ってダンスの修正ポイントを教えてくれる通信講座も受けて、記録としてInstagramやTikTokもはじめました。
――行動力がすごくて、生活もロボットダンス漬けに?
屋代:そうですね。毎日、ロボットダンスをやるようになりました。自宅で料理を運ぶときもロボットの動きで、まばたきせずにキッチンから食卓まで移動しています。口調もロボっぽくして、ゆっくり動くかと思ったら急にスーッと動き出してみたり、なかなか料理が到着しないので娘から「遅い!」とツッコまれるときもあります(笑)。
――家族に支えられながら全国大会で優勝して、環境は変わりましたか?
屋代:ベテランのダンサーさん、教室を運営されているダンサーさんと、SNSで交流するようになりました。大会はコロナ禍では貴重な“リアルに会える場”でしたし、もともと、別のダンサーさんと交流を深めたいのも出場した理由だったんです。だから、優勝できたのはもちろんうれしかったんですけど、それ以上に輪を広げられたのが自分にとっては大きかったです。
――いい意味で欲がないというか。名誉などではなく、純粋に楽しさを追求している印象も受けました。
屋代:そもそも、竹馬を一人できわめようとする子でしたし、何事も「楽しい」が一番なんです。地域の行事にもよく参加していて、正月の餅つき大会ではご近所さんの前でもダンスをやりました。サンダル履きで「その靴じゃ無理だよね」と言われたんですけど「大丈夫!」と、その場で踊りました。子どもたちも私に似たのか、他の人を気にしないタイプに育って、すべてが幸せです。
<取材・文/カネコシュウヘイ 撮影/市村円香> 1
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