「お母さんになっちゃダメじゃん」息子に言われた42歳漫画家。虐待のトラウマと育児について本人を取材
ADHDに算数障害(数字、計算に困難を抱える学習障害)、双極性障害といった、生きづらさを抱えていた私。そんな私が2025年の夏。母になった。
生きづらさはあるけれど、夫や行政の助けを借りて明るく育児をできている。この連載では生きづらさを抱えたまま母になった人にインタビューしている。
漫画家で、『トラウマのほぐし方』(光文社)の著者であるあらいぴろよさんは、父から身体的暴力や暴言、性的虐待を受けて育った。一方、母からは父による性的虐待を見て見ぬふりをされ、「女」として張り合われるような形で女性性を否定されるなど、両親から異なるかたちの虐待を受けてきた。
前編では、両親から受けた虐待がその後の人間関係に与えた影響や、男性依存に陥った経緯、結婚によって一度は心が安定したことなどを語ってもらった。後編では、あらいさんの育児について、さらに詳しく話を聞いた。
【前編】⇒「男をたぶらかすの最高!」中学生から男性依存に陥った42歳漫画家。背景にあったのは“両親からの虐待”だった。本人を取材
――医療にかかったのは4年前と著書にありました。それまで長い間、生きづらさの理由がわからなかったということですか?
あらい:はい。私がおかしいから、私がバカだから頑張らなきゃとずっと本気で思っていました。医療が必要なのにこのように思っている人は少なくないと思うんです。それでもどうにかやってこれちゃったんですが35歳くらいの頃から、パワハラに遭ってしまったことで適応障害や鬱を発症し、さらにミスが増えまして。なにが起きているのか素人には当然わからず周りに相談するとADHDかもしれないと言われたので、ADHDのライフハックで乗り切ろうとしたのですがやっぱり無理で、これはもう病院だ! と思って行きました。すると、ADHDではなくトラウマが原因かも、と。
あくまで私の場合ですが、産んだからトラウマが悪化したのではなく、パワハラにあいやすい性質を持っていて38歳あたりでついにクラッシュしトラウマの症状が顕著に出るようになったようで。人間は35歳以降に体力が落ちたり社会的責任が増えたりすることによるキャパオーバーで、トラウマが顕在化しやすいそうです。
――そういった状況での育児は大変だったのでは?
あらい:そうですね。ずっとトラウマの後遺症の影響を受けているなんて思ってもいませんでしたから息子が1歳になって自我が芽生え始めた頃、初めて息子に怒鳴ってしまいました。1歳相手に「こいつ、わかった上で泣いてやがるな」と。そんな自分にショックを受けました。でも、私が怒鳴ったのに、怒鳴られた私に抱っこされると息子は落ち着くので、何これ? と思いました。生き残るための本能的な愛なのですが、すごく混乱してしまいました。
息子と自分を比べてしまうこともありました。「なんでこの程度で泣いているの?」とか「この程度で私は息子に泣かれなきゃいけないの?」と、かなり攻撃的になっていて、そんな自分も恥ずかしかった。
そのくらいから保育園に入れようとも思っていました。でも、息子に対するイライラが慢性的にあったので、「親の私がこれだけイライラする子を、私以外が大切にしてくれるとは到底思えない」と勝手に思うようになって……。誰かに頼るくらいなら私がお世話をしたほうがいいと、どんどん閉鎖的になっていきました。非常に悪い傾向ですね。
でもちょうどその時期、父が亡くなり遺産相続の話などをするために一時保育を勧められて利用したんです。その場で飛び交う話は、いくらまだ息子が乳児で言葉がわからないとしても聞かせたくない話ばかりでしたから。その保育所では育児相談もできる、とあったので息子を怒鳴ってしまうことを初めて保育士さんに相談しました。自分は良い環境に育っていないからどう育児すればいいのかわからない、ということまで全部話しました。
キッチリ叱られて、裁かれて、気持ちを入れ替えようと思っていたところ「話してくれてありがとう。私たちみんなで育てていきましょう」と言われまして。ようやく、私はこの子にストレスをぶつけている、自分から引き離さないといけないと自覚し、2歳前に保育園を探して入れました。
――虐待家庭を共に生き抜いた2人のお兄さんとは不健全な信頼関係と描かれていましたね。
あらい:兄たちとの不健全な愛というのは、一つになってドロドロに溶け合って、一緒に泣いて怒って……というものです。それが愛や信頼の正しいかたちだと思っていました。だから、夫や息子からの健全な愛は、治療前は距離があって物足りない……と思っていました。
30代後半、体力の低下と共にトラウマ後遺症が現れた
息子と距離を置くために保育園へ
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