「あのときは、こうすべきだったんじゃないの?」
「どうしてできないの?」
「大人らしいふるまいができないなんて、その年齢で常識知らずだと思われたんじゃない?」
「この服装はTPOにふさわしくなかったんじゃない? 太って見えたんじゃない?」
etcetc……。
何しろ脳内で繰り広げられることなので、歯止めが効きません。最近だとインタビューを受けたときに、調子こいて喋りすぎたんじゃないか、とか、人の相談に乗ったとき上から目線ではなかったか? タオルハンカチではなく、アイロンのかかったハンカチを持つべきだったのではないか、など……。
そうそう、引き出しの中でごま油を倒して、中身「すべて」をごまの香りにしてしまったときは、もうごま油がたっぷたぷの引き出しに頭を突っ込んで、アーユルヴェーダしてやろうかと思いましたね(※アーユルヴェーダでは油を使った施術がある)。
なぜ蓋をきちんと閉めたか確認してからしまわないのか。1年半前にしょうゆで同じことをしているというのに。だいぶ泣きそうでした。
自分のことですから、思う存分に責めてしまうし、できないことにイライラしてしまうし、何よりつらい。ごま油がびんに戻ってくれるわけじゃないですしね。最近は、自分を脳内で責め続けてしまう場合は、ノートに書き殴るようにしています。
しかもまた記憶力が良いのがアダになり、いくらでも反芻できてしまうんですよ。
アラ探しの能力を逆転させたらよいのでは?という、深夜の気づき

これはキャンドルではなく、薪ストーブ
ある日、深夜に今までのいろいろな「己のアラ」が思い浮かび、寝つけなくなりました。お気に入りのキャンドルを灯し、揺れる炎を見ながらぼんやりと、
もうやめよう。こんなアラアラしててもしょうがない、魚屋さんじゃあるまいし……。
と、決意しました。
アラ汁を作ったり、アラの煮付けを作ったりするために魚屋さんや鮮魚コーナーでする「アラ探し」なら良いでしょうが、人様のアラはもちろん、己のアラばかりほじくったって自己否定が加速するだけです。