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「人生で大切なのはお金」と言い切る14歳が、本当は伝えたかったこと――禅僧と10代たちの対話

差別の原因はすべて「する側」の無知にある

――この対話を受けて、南さんが差別について書いていますよね(以下、同書から一部要約して引用)。 <性的指向や容姿、出自や育った環境など、どんな条件であれ、「差別される側」には責任も問題もまったくありません。 問題があるのは「差別する側」です。 なぜなら、差別の原因はすべて、する側の「無知」にあるからです。> <差別する人は、相手を「こういう存在だ」と固定し、「自分が正しい」と思っています。しかしそれは、単なる思い込みであり、妄想です。> <このように現実を正しく見られない状態を、仏教では「無明(むみょう)」と呼びます。> 南直哉さん

差別をする人も、また苦しんでいる

――全くおっしゃる通りだと思いました。ですが今、差別と排除を明らさまに言動に出す大人がすごく増えています。長年日本で働いている外国人にも、「国に帰れ」とか言ってしまう。 仏教では、「無明」は「苦しみの根源」とされますよね。ということは、差別をしている人たちは、同時に、苦しみも抱えているのでしょうか。 南:そうです。苦しいから差別するんですよ。自我に対する不安を抱えている。 みんな「私」という存在には何の根拠もないと薄々気づいているんだけど、その不安が臨界点を超えると、外に敵を見つけるようになるんです。「私はちゃんとやってるのに、報われないのは、あいつらが悪い」みたいにね。 他者を攻撃する理由をどこかで調達してくるようになって、外国人とか性的マイノリティとかを理由にするわけです。 差別というのは、自我の強度を上げる手段として使えるわけですよ。 しかし、そんな手段で自我に対する不安はなくならない。苦しみは消えないのです。
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親が子にできることは2つだけ
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