桑田佳祐の新曲に「デモテープみたい」の声も。大泉洋主演『俺たちの箱根駅伝』が物足りない根本理由
視聴者はドラマに何を求めるのでしょうか? その中で主題歌はどのような役割を果たすものなのでしょうか?
改めてテレビドラマの存在意義について考えさせられるニュースです。
10月10日からスタートした『俺たちの箱根駅伝』(日本テレビ系)が振るわないと話題です。初回視聴率は8.6%、2話目は8.9%とやや持ち直したものの、原作・池井戸潤、主演・大泉洋というゴールデンコンビにしては期待外れとの声が聞こえてきます。
そして、ドラマと同様に肩透かし感を訴える意見が、桑田佳祐の歌う主題歌「神々の襷(たすき)」にも寄せられているのです。
「最近の桑田佳祐の曲はこんなに音がチープなの?? 聞くに絶えない」(原文ママ・正しくは「堪えない」)というXの投稿は113万近いインプレッションを集めています。「確かにコレは酷い(笑)」とか「デモテープの音源みたい」と、投稿に同調する意見の一方で、「幼少からサザンを嗜む身としては馴染みのある音色と感じる」といった反論もあり、議論が加熱しています。
筆者もドラマを観て、桑田の曲を聴きました。それを踏まえての感想は、視聴率が低調なことと、なおかつ音楽に拍子抜けしたという意見は、どちらも理解できるものだと感じました。
しかし、だからといって、これが大泉洋や桑田佳祐といった個人の資質の問題であると、短絡的に決めつけるわけにもいきません。
なぜなら、『俺たちの箱根駅伝』をそもそも「ドラマ」と呼んでいいものかどうか、という疑問が生じるからです。
どういうことかというと、お正月の風物詩である箱根駅伝を中継する日本テレビが、それを題材にしたドラマを制作するということは、どう転んでも美談だと決まっているからです。
それゆえに、独立したコンテンツとしてクオリティを追求するよりも、お正月の箱根駅伝本番の中継に向けての気運を高める、広告塔的な意味合いのほうが強くなってしまう。
早い話が、動機、展開、結末において、「素晴らしい話」にしかならないことがあらかじめわかっているものを、わざわざ時間を費やしてまで観たいと思う物好きはめったにいないのです。
つまり、面白いドラマであるための大きな要素のひとつである「プロットの意外性」が、『俺たちの箱根駅伝』においては、最初から排除されてしまう構造にあることが見えてきます。
「期待外れ」の声が聞こえてくる新ドラマ『俺たちの箱根駅伝』
どう転んでも美談になると決まっている
1
2











