「一線超えてない?」の声も。『虎に翼』脚本家、原作描写への「ノイズ」発言で物議…“強すぎる表現”が反感を買ったワケ
WEBメディアKAI-YOUに掲載された「『ぼっち・ざ・ろっく!』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”」という、8月16日開催のアニメイベント「ANIME FANTASISTA JAPAN 2025」内で行われたトークイベントのレポート記事が激しい論争を呼んでいる。
同記事のXのポストでは「覇権を狙うため『ぼざろ』(『ぼっち・ざ・ろっく』)から排除したノイズとは?」とも書かれており、Yahoo!ニュースに転載された記事ではその記述にならうタイトルとなっている。
ドラマ化・アニメ化された小説『天久鷹央の推理カルテ』の著者である知念実希人氏は、「……あのさ、脚本家が原作の表現を『ノイズ』って言うの、一線を越えてない?」という批判と共に記事をリポストした。他にも、「原作の微妙なところはノイズと称して削除とか、自分の加害性には無自覚なんだ」「アニメに変な思想を持ち込むのって有害でしかない」などと批判を浴びている。
一方で、「本文を読んだら当たり前のこと書いてるだけだった」」「至極真っ当な意見」「現代において重要な視点だと思う」といったフォロー意見もとても多い。
筆者個人の結論としては、今回の吉田氏の論旨そのものは、今のアニメおよび創作物の表現において重要な問いかけをしている、とても正当なものだと思えた。しかし、たとえ覚悟のある、あえて強い言葉を用いての発言だとしても、反感を買ってしまうのも当然の、問題のある表現があったのも事実だ。まとめていこう。
今回の記事内で綴られている趣旨のひとつは、筆者個人が言葉を変えてまとめるのであれば「もっと多くの人に受け入れられる作品にするためのチューニング」だ。たとえば、以下のような記述がある。
「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
具体例としてあげられている「主人公が(わざと風邪をひくために氷の入った)水風呂に入るシーンでは水着を着てもらった」場面において、確かに原作漫画では高校生の彼女の裸がはっきりと見えるアングルで描かれており、それはギャグであると同時に「お色気」なサービスとも捉えられるものだった。
『ぼっち・ざ・ろっく』は「極端な“陰キャ”の主人公の言動に笑いつつも共感する」要素も、間違いなくウケた理由の一つだ。「家のお風呂で1人で水着を着るのは変では?」という意見もあるが、裸よりは水着を着ることで、よりそういうギャグとして見やすい、少なくとも見る側の「気まずさ」は確かに減ったように思える。
筆者自身の言葉でいえば、原作にはわずかにあった(作品には真に重要ではないと判断した)お色気要素を極力なくす」というのは、ファミリー層や女性に受け入れられやすくする、マス向けの調整として正しいと思えるし、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく』が幅広い年齢層が親しめる大ヒット作になった理由の1つという見方にも、一定の説得力がある。
同記事内で吉田氏「過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」などと認めている上で、『ぼっち・ざ・ろっく』という作品は「そうではない」と考えてこその調整となったことは、記事内でも、実際に原作とアニメの両方を比べても伝わることだった。
「アニメの表現だからってなんでもありじゃない。“絵だけど、未成年だぞ”って考え方は大事にしています」といった吉田氏の言葉も理解できるものだ。これまでは大衆が見るアニメ作品でも、カジュアルに未成年者のお色気描写があったかもしれないが、確かにそれを見直す、作品によってはゾーニングもより重視される時期なのかもしれない。
今回の記事では、吉田氏が「まるで手柄を1人で横取りしている」ような印象も批判を浴びている。確かに後述もするように吉田氏個人の主張が強く打ち出されているが、同記事では「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてる」といった吉田氏自身の言葉もある。
つまり、原作者や他スタッフが完全にないがしろにされているわけではないし、吉田氏の独断のみがアニメに採用されたというのも考えづらい。
その根拠もある。たとえば、原作者のはまじあき氏はX(アニメ放送当時ではTwitter)で「吉田さんのおかげで結束バンドどのキャラも平等にスポットが当たって皆の人気がでて感謝しております、、、!」など吉田氏への感謝の言葉を告げている。
他にも、「少年ジャンプ+」の特設サイト内のインタビューページ「ジャンプラ読切沼のわたしたちで吉田氏は「原作者のはまじあき先生がシナリオ打ち(合わせ)に毎回同席してくださった」「製作者みんなで作品を愛して、どうしたらこの面白さを伝えられるのかを、自分ごととして考えていきたい」とも語っている。他のインタビューでも、吉田氏は原作を尊重して、作品と仕事に向き合う姿勢を示している。
これらのことを鑑みれば、原作者の「必ず漫画に忠実に」という約束が反故にされ、その原作者の自死という最悪の結果を迎えてしまったドラマ『セクシー田中さん』の問題と、今回のことを同一視するべきではないだろう。
原作から「お色気」描写をなくす「チューニング」は正当性がある
『セクシー田中さん』と同一視すべきではない理由も
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