“暮らすように滞在する”NYの旅で見つけたプラスチック・コンティナー【日々の雑器 Vol.2 茅野裕城子】
2017年03月01日
<茅野裕城子【日々の雑器】Vol.2>
いつからともなく、どこからともなく、わたしの回りには、さまざまな器が集まってきてしまう。
基本的にはずっと断捨離中ではあるのだが、それでも、旅する先々で、骨董市で、あるいは、実家のガレージの片隅に捨てられそうになっていたものなど、どうしても手にとって、持ってきてしまうものがある。
本当は、白い機能的で形のよい食器のストックがあれば、それでいいのかもしれないけど、人間、それじゃあ、飽きてしまう。
かといって、わたしは高級ブランド食器のフルセットとかも、持ちたくない。雑多で不揃いな器で、日々の食事をするのが楽しい。使っていると、器たちは少しずつ、なにかを語りかけてくる……。
ここ数年、NYへ行くときは、仕事の旅以外、絶対に友達の家に居候させてもらう。まったくもって図々しい話なのだけど、それを強行してしまうくらいホテルは高い。200~300ドルだったら、ショボい部屋、400ドル出してもたいしたことない……となったら、一週間、快適に過ごしたかったら、目が飛び出る金額になってしまうからだ。
友人たちも、そういう事情をよく知ってるからか、わりと気軽に泊めてくれる。そして、他人の家に暮らすと、いろいろな発見がある。
この前、知り合いのファッション・デザイナーの家に泊まったとき、あれ? と驚いたのは、タウンハウスの前に置かれた、日本より遥かに細かい分別のゴミコーナー。コンポストもあり、ニューヨークもやっと本気でゴミ対策にのり出しているのかな、と。
そして、彼女の冷蔵庫のなかは、よくデリでお惣菜をグラム単位で計ってくれ、会計するとき用の、かなり頑丈なコンティナーだけが並んでいた。きっと忙しいから、デリで買って来て食べてるんだな、と思ったがそうではなかった。
持続可能な社会について、全く対局にあるようなモードの世界でも考えている人たちは多く、彼女もかなり真面目に、自分のできることから取り組もうとしている。そのひとつが、使い捨てのこれらのコンティナーを容器として使い続けること。
アメリカのコンティナーって、たしかに日本のより、頑丈で捨てるに忍びない。
ひとつのコンティナー、どのくらいの耐久性がある? と聞いてみてみたら、何年も使えるよ、と。
それ以来、わたしの冷蔵庫のなかも、このとき持ち帰ったデリのコンティナーばかりになった。
こういうものって、いつ頃から使われていたのかな、と思いだしてみると、記憶のなかにあるのは、Barducci’s のグリーンのロゴの入ったパスタソースやアーティチョークのオイル漬けだ。’70年代末、はじめてNYへ行った頃、ウエストビレッジにあるこのイタリアンのデリが好きで好きでたまらず、通っては、ホテルの部屋でコンティナーから直接食べたり、長く滞在するときは、居候宅で、生パスタとソースなどを堪能した。
通りの向かい側には、JEFFERSON’Sという古めかしいお魚屋やお肉のお店があって、白衣姿のおじいさんたちがケースから出してくれる魚も肉も品物がよかった。
“暮らすように滞在する”、当時のわたしのNYの旅は、ビレッジのあの一角に支えられていたといっても過言ではない。
ところが、あるときから、その場所には違うデリが入っていた。あれ、と首をかしげたが、当のBarducci’sはビジネスを大きな会社に売ってしまったらしく、全然違うオレンジ色基調のデザインのロゴに変わり、わたしにとっては、まったく魅力のないフード・マーケットと化してしまった。
密かに「NYのKINOKUNIYA」と呼んでいた頃の、グリーンが冴えたロゴが蓋にあしらわれたコンティナーを、どうしてひとつも残しておかなかったのだろうと、いまになって悔やまれる。
最近では、デリの側もムダを悟ったのか、プラスチック製のこういう容器も、だんだん減ってきて、紙のものや、別の簡略化されたものに変わりつつある。
そういえば、最近読んだSFのなかで、廃墟と化した街から、昔(つまり今)のプラスチック製品を拾ってきて、修理して使うというシーンがあった。
昔のは丈夫でクオリティが高いから、という理由で。
ヴィンテージ・プラスチック・コンティナーも、継いで使えば、百年くらい保つのかもしれない。
<TEXT/茅野裕城子>
作家。東京生まれ。『韓素音の月』で第19回すばる文学賞受賞。『西安の柘榴』など、中国に暮らした体験をもとに、日中間の誤解や矛盾を描く作品が多い。また、ビンテージ・バービーのコレクターでもあり、『バービー・ファッション50年史』(共著/扶桑社刊)などの研究書も。このところ、キルギス、モンゴルなど中央アジアを旅することが多く、好物は、羊!
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Vol.2 ニューヨークの惣菜入れ
ここ数年、NYへ行くときは、仕事の旅以外、絶対に友達の家に居候させてもらう。まったくもって図々しい話なのだけど、それを強行してしまうくらいホテルは高い。200~300ドルだったら、ショボい部屋、400ドル出してもたいしたことない……となったら、一週間、快適に過ごしたかったら、目が飛び出る金額になってしまうからだ。
友人たちも、そういう事情をよく知ってるからか、わりと気軽に泊めてくれる。そして、他人の家に暮らすと、いろいろな発見がある。
この前、知り合いのファッション・デザイナーの家に泊まったとき、あれ? と驚いたのは、タウンハウスの前に置かれた、日本より遥かに細かい分別のゴミコーナー。コンポストもあり、ニューヨークもやっと本気でゴミ対策にのり出しているのかな、と。
そして、彼女の冷蔵庫のなかは、よくデリでお惣菜をグラム単位で計ってくれ、会計するとき用の、かなり頑丈なコンティナーだけが並んでいた。きっと忙しいから、デリで買って来て食べてるんだな、と思ったがそうではなかった。
持続可能な社会について、全く対局にあるようなモードの世界でも考えている人たちは多く、彼女もかなり真面目に、自分のできることから取り組もうとしている。そのひとつが、使い捨てのこれらのコンティナーを容器として使い続けること。
アメリカのコンティナーって、たしかに日本のより、頑丈で捨てるに忍びない。
ひとつのコンティナー、どのくらいの耐久性がある? と聞いてみてみたら、何年も使えるよ、と。
それ以来、わたしの冷蔵庫のなかも、このとき持ち帰ったデリのコンティナーばかりになった。
NY、ウエストビレッジのイタリアンデリの思い出
こういうものって、いつ頃から使われていたのかな、と思いだしてみると、記憶のなかにあるのは、Barducci’s のグリーンのロゴの入ったパスタソースやアーティチョークのオイル漬けだ。’70年代末、はじめてNYへ行った頃、ウエストビレッジにあるこのイタリアンのデリが好きで好きでたまらず、通っては、ホテルの部屋でコンティナーから直接食べたり、長く滞在するときは、居候宅で、生パスタとソースなどを堪能した。
通りの向かい側には、JEFFERSON’Sという古めかしいお魚屋やお肉のお店があって、白衣姿のおじいさんたちがケースから出してくれる魚も肉も品物がよかった。
“暮らすように滞在する”、当時のわたしのNYの旅は、ビレッジのあの一角に支えられていたといっても過言ではない。
ところが、あるときから、その場所には違うデリが入っていた。あれ、と首をかしげたが、当のBarducci’sはビジネスを大きな会社に売ってしまったらしく、全然違うオレンジ色基調のデザインのロゴに変わり、わたしにとっては、まったく魅力のないフード・マーケットと化してしまった。
密かに「NYのKINOKUNIYA」と呼んでいた頃の、グリーンが冴えたロゴが蓋にあしらわれたコンティナーを、どうしてひとつも残しておかなかったのだろうと、いまになって悔やまれる。
最近では、デリの側もムダを悟ったのか、プラスチック製のこういう容器も、だんだん減ってきて、紙のものや、別の簡略化されたものに変わりつつある。
そういえば、最近読んだSFのなかで、廃墟と化した街から、昔(つまり今)のプラスチック製品を拾ってきて、修理して使うというシーンがあった。
昔のは丈夫でクオリティが高いから、という理由で。
ヴィンテージ・プラスチック・コンティナーも、継いで使えば、百年くらい保つのかもしれない。
<TEXT/茅野裕城子>
作家。東京生まれ。『韓素音の月』で第19回すばる文学賞受賞。『西安の柘榴』など、中国に暮らした体験をもとに、日中間の誤解や矛盾を描く作品が多い。また、ビンテージ・バービーのコレクターでもあり、『バービー・ファッション50年史』(共著/扶桑社刊)などの研究書も。このところ、キルギス、モンゴルなど中央アジアを旅することが多く、好物は、羊!ハッシュタグ
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