「なんでレーザー治療しないの?」と言われることもある
――見た目問題に限らず、何らかの症状を抱えた人が、差別と戦ったり、既存の価値観を壊したり、向き合って克服するような生き方を全員がしなくてもいい。既存の価値観に沿って生きるという解決方法を選ぶほうが楽になるかもしれない。そういう多様性があってもいいと思います。「戦う代表」である必要もないですよね。
鈴木:そうですね。私は「戦う」とか「壊す」という意識が全くなくて、ただ「こういう人もいるんだよー、ちょっと聞いてよー」くらいかもな、と(笑)。でも確かに、周りからは既存の価値観と戦っているように見られてしまうこともあります。

「他人が押し付けてくる『こうあるべき』という価値観は暴力的だと思う」(水野)
――既存の価値観を押し付けられていると感じることはありますか?
鈴木:押し付けられやすい社会ではあると思います。メイクひとつにしても、「人前に出るときは女性はメイクをするのが礼儀だ」とされていますよね。太田母斑があると「なんでレーザー治療しないの?」とか、街中で「今はちゃんと綺麗になるのよ」などと知らない方に声をかけられることもあります。皮膚科の先生にも「治せるよ」と言われたり。そういった他人の価値観をアピールされる機会は多いと感じます。
水野:よかれと思って言っているのもわかるんですけどね。
――私も昔、友人にシミ消しのレーザー治療を勧めたことがあります……。
鈴木:友人に勧められたら、私のことを思ってくれていると感じるので、関係性にもよりますね。昔は本心を言わずに「そうなんですね、あははは」みたいに笑ってごまかしていたんですが、最近は「お金ないんで」「レーザー治療、めちゃくちゃ痛いし大変そうだし、私は今はいいかな」と本当のことを言うようにしています。
そのほうがコミュニケーションがスムーズ。ただ一方で、治療を勧められると「今の私はダメなんだ」という思考になってしまう時があるんです。
水野:ベースに愛情があるかどうかですよね。愛情がなく、他人が押し付けてくる「こうあるべき」という価値観は暴力的だと思うんですよ。もっとお互いを理解することで、みんなが自分の居場所を見つけやすくなったり、幸福度が上がる気がしますね。そこに向かっているプロセスで、苦しかったり、いいこともあったりして、物事を理解していくんだと思います。
鈴木:私もそう感じています。
「コンプレックスの源のひとつは、父親だった」(鈴木さん)
――コンプレックスと向き合う上で、一番近くにいるご家族の価値観というのは大きな影響力を持つと思うのですが、おふたりはご家族とどういったコミュニケーションを取ってきましたか?

今後は主人公と家族の関係も掘り下げて描いていく予定だ
鈴木:実は、私のコンプレックスの源のひとつは、父親なんです。父親が、私の顔を見るときに目を見て話さない人で、向かい合って話すときは、いつも片目の瞼を指で押さえていたんです。「ああ、私の顔を見たくないんだな」と思っていました。
だからこそ父親と、アザのことも含め向き合うことを避けてきたんですけど、去年、父親が胃癌の全摘手術をして、脳梗塞も併発してしまったんです。自分で起きることも言葉を発することも、ご飯を食べることもできない状態になってしまったので、本音を語り合うことは、もう出来ないかもしれない。
そう思ったら、精神的にきつくなってしまいました。その辛さがどこから来ているのかと考えたら「ああやっぱりお父さんに愛されたかったんだ」という気持ちだったんです。
水野:でもお父さんの仕草の理由が、アザではない可能性はあると思います。鈴木さん本人には話していなくても、お父さんが何かお母さんに話しているかもしれないし、どういう経過を辿るかはわからないけど、今後、鈴木さんの持つ辛さも何らかのかたちで解決されていくかもしれない。
だからいいんですよ、ゆっくりで。「あのときに話せばよかった」=「今の状況は間違い」、ということじゃなくて、今起きている状況も必要なんだと思う。これは人間のバリエーションであり、必要なグラデーションなんですよ。この問題を解決する・しないって2択じゃなくていい。「お父さんに愛されたかった」という思いがあったから、こういう作品が生まれてきて、癒される人がいるわけです。